第3685日目 〈そういえば、そんな計画もあった。〉 [日々の思い・独り言]

 晩年の平井呈一にはディケンズの小説をまとめて訳す計画があったらしい。荒俣宏『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社 2021/05)には、その準備のために、海外の古書店から大量のディケンズ研究書を購入した旨記述がある(P183)。
 この一節を胸に刻んでわたくしは、シェイクスピア研究書を、身の丈に合った範囲で購っている。こちらは専門の研究者でも、演じる側にもない、ただの芝居好きで、いまは一年に一度か二度、舞台を観に行ければ満足している風の者でしかない。それでも、ささやかながら自慢できることがあるとすれば、曲がりなりにもシェイクスピアの全戯曲を読み果せたことである。
 本ブログで以前に、シェイクスピアの37の戯曲の感想文じみたエッセイを書いてゆきたい、と述べた覚えがある。志は喪っていないが機を逃したのを感じている。当初はまさしくいまの時季に、その処女作『ヘンリー六世』全三部を読み、聖書のときと同じようなスタイルでノートを書いてお披露目しようとしていたのだ。
 機を逃した理由には口を閉ざすとして、志を喪っていないのは幸い事であるかもしれない机の脇に重ね置きした小田島雄志訳シェイクスピア全集(白水uブックス)から任意の一冊を開いて或る一幕でも或る一場でも読んだり、上演史や出版史、個々の作品論や(専ら)翻訳家のエッセイをぱらぱら繰っていると、埋み火になりかけの志が再燃してくるのが感じられる。
 前述したが、シェイクスピアの戯曲は全部で37篇。これを一ヵ月に一作ずつ読み、一週間弱のなかで折々徒然、気儘に暢気に、ノートとも感想文ともつかぬエッセイをお披露目する。テキストは手に馴染んだ小田島訳と決めている。並行して松岡和子(ちくま文庫)や河合祥一郎(角川文庫)、人生初沙翁となった新潮文庫(以前、口絵写真がいつの間にかなくなってんのな、と喚いたアレです)……まァ作品による。あとは史劇なら背景となる英国史、身の丈に合わせた必要に応じた研究書のお世話になって──。
 なにはともあれ、言っちまった以上はやるのが道理だ。このまま沙翁放置じゃ、死んでも死にきれないぜっ! だからって化けて出る気もないけどな。
 シェイクスピア、『ヘンリー六世』。来年前半には取り掛かりたいですな。憲法関連書の読書が終わったらすぐにこちらへ取り組む準備を始めよう。なにも起こらなければいいけれど。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。