第3702日目 〈フラウィウスを待ちながら。〉 [日々の思い・独り言]

 遂に意を決してその本を買うことにした。その本、ではなく、文庫で出ているその人の著作と、その人について書かれた一冊、というた方が正確である。決断まで実に一年半を要した。
 「日本の古本屋」サイトに出品(登録)されるたびに間もなく売り切れ、しばらくするとまた登録/出品→時絶たず売り切れる、が繰り返される。状態など出品店舗によって異なるけれど、全巻揃が目に触れる機会はゆめ多くなく──。
 購入の覚悟を決めるまで一年半もかかったのは、迷っているうちに売り切れてしまったから、それが繰り返されたから、ばかりではない。こちらの求める状態の全巻揃がまったく現れなかったためでもない。お値段、なのである。
 具体的な金額は書きたくない。ただ文庫一冊で数千円、全三巻、全六巻の揃となれば必然的に数万円、の計算となる。実際過去にわたくしは、全六巻揃帯一部欠・状態並・書込み破れ濡れ皺等なし、が36,800円で売られているのを見附けて、早々に諦めたのを覚えている。
 とはいえ、その本は今後の読書生活、執筆に於いて必要な参考文献となるのがわかっている。図書館で都度借りればよい。そう自分を納得させてしばらくはその本のことを考えずに過ごしたけれど、やはり手許に置いて、折に触れて読む生活を思い描いているのだった。
 斯様に逡巡した末、遂に意を決してその本を買うことにした。その本の著者の名を、フラウィウス・ヨセフス、という。後一世紀のエルサレムに生まれて第一次ユダヤ戦争を生き延び、ローマ帝国に身を寄せた人物である。『ユダヤ古代誌』、『ユダヤ戦記』、『アピオーンへの反論』、『自伝』の著作を持つ。
 これを書きながら到着を待っているのは、『ユダヤ古代誌』全六巻と『ユダヤ戦記』全三巻、(前二書の訳者でもある)秦剛平『ヨセフス』の計十冊で、いずれもちくま学芸文庫から。
 内容を簡単に述べれば、『ユダヤ古代誌』は旧約聖書の天地創造から後66年までのユダヤ民族の歴史で、『ユダヤ戦記』は後66-70年の第一次ユダヤ戦争の記録である。秦剛平の著書はヨセフスの生涯や著作の執筆背景、どのようにしてその著書がキリスト教陣営に取りこまれていったか、近現代の翻訳や校訂本のことなどの話題に触れる。ヨセフス研究、ヨセフス自身やその著作についてなにかを書き、なにかを発言するにあたってかならず繙くことになるであろう。
 そうしたフラウィウス・ヨセフスの本の到着を待ちながら、本稿を書いている。
 過去にたびたび表明してきたようにわたくしは、キリスト者ではない。わたくしにそちらへの信仰は、ない。従って、就中『ユダヤ戦記』をキリスト者の如く「キリストの証し」の書として読むことも、ない。
 とはいえ、足掛け八年実質七年の聖書読書と、プロテスタントの亡き婚約者と奥方様を経由して、聖書の教えや物語、文言などは自分のなかへ(確実に)入ってきている。そうした意味では時として、キリスト者──キリスト教陣営と同じようなスタンスでヨセフスを読むこともあるだろう。それでも信仰を基にした読み方はしない──そも結局のところ、『ユダヤ古代誌』も『ユダヤ戦記』も、イエス時代に生きて第一次ユダヤ戦争に参加した経歴を持つ、文才あるユダヤ人の手に成る歴史書なのだ。
 わたくしは信仰ベースではなく、歴史ベースでヨセフスを読む。ローマを中心とした地中海世界について、キリスト教の発展過程について、クムラン教団やエッセネ派について、その他様々のことについて、考えたり書いたり発言する際の必携文献として読むだろう。
 いつか書架に備えたい。そう望んでいたヨセフスの主著二つと概説書が、思いの外安価で売られていたのが背中を後押しし、この一週間で入手するに至った。……それでも『ユダヤ古代誌』は全巻揃で一万円台後半でしたがね。
 イエス時代の地中海世界の歴史を学んだり、ユダヤ教とキリスト教について理解を深めてゆくにあたり、ヨセフスが手許に、書架にあるのは、とても心強いことではないか(個人の感想です)。
 清水の舞台から飛び降りる思いで買った。大げさかもしれないが、そんな気持ちで購入ボタンをクリックした。サイト内での古書店からの連絡によれば、いずれも既に発送済みとのことである。◆
──劉慈欣『三体』全巻が揃って、年末年始の愉しみを確保したのを喜ぶ日に□


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