第3727日目 〈5キロのリュックを背負って、外出先で勉強する。〉 [日々の思い・独り言]

 読み返してみて、やはり半分以上寝ながら書いた原稿には、非道い部分が目立つ。誤字脱字の類は当然、すこぶる文意の通らぬところもあったりして、反省頻りだ。昨日第3276日目はなるべく早く必要最低限の修正を施すことにしよう。
 さて、本日の話題だが、──
 
 悪化の一途を辿っていた陥入爪の手術はぶじに終えて、恐る恐る靴下を履くことからも、出掛けにガーゼとテーピングで徹底ガードすることからも、ようやく解放された。まだ痛みを感じたり、化膿止めの薬のお世話になっているけれど、年内に治療は終わりそうなことを喜んでいる。
 とはいえ、いきなり行動範囲が広がるわけではなくて、却って自分の行動範囲の狭さと回遊先が固定されていることを実感して、呆れるより外ない。
 ついでにいえば、リュックへ詰めこむ荷物も日によって変わるようなことはなく、多少の入れ替えがあるが精々だ。今日は憲法、明日はホームズ、明後日は英語多読、明明後日は聖書/キリスト教、その次の日は……という具合。もっとも、こうまであからさまに内容が変わることはないけれど。──読者諸兄は、慢性腰痛持ちにもかかわらず5〜6キロの荷物を詰めたリュックを背負って外出しているのだ(MBAもありますから)、その外出先でその本を使った勉強等々をしているのだ、とだけ知っていただければ結構です。
 ところでその憲法だが、例の杉原『憲法読本 第4版』の、シャープペン片手にした再読は基本的人権の項目を数日がかりで読み果せ、今日は議会制民主主義の項を読んだ。残りは100ページにも満たない。かりに何事かがあったとしても生命にかかわるようなことがない限り、『シャーロック・ホームズ・バイブル』とイケナイ・アダルティーな小説の感想文初稿に着手できなかったとしても、本書の再読作業だけはどうにか終わらせられそうだ。
 今日の再読を済ませたあと、関心を深く持った点(国政調査権、ルソーが『社会契約論』で述べたこと)について、持参していた本秀紀・編『憲法講義 第3版』と渋谷秀紀『憲法を読み解く』の当該ページへ目を通し、白水uブックス版『社会契約論』をぱらぱら目繰って過ごした。
 一冊の本を広げたままもう一冊を開いて読み較べたりするのは、或いは並べて相互補完させるには、電子書籍は不向きだと思う。端末をその分持ち歩くなら話は別だが、それはウリの一つである携帯性を放棄するに等しい。使い勝手は極めて悪そうだ。電子書籍の利点をまるで活かせていないようにも思うし……バッテリー切れやふとした拍子の落下破損の心配もありますね。『憲法読本』のような線引き、書込みも端末のよっては難しいですからなあ。最後に勝ち残るのはアナログである、ということか。
 とまれ、複数の本を並べ置いての勉強や、直接書きこむような読書のときは電子書籍は全く以てその存在利点をことごとくデメリットに変える、無用の長物、というのが実体験に基づくわたくしの(現時点での)結論だ。
 と、こんな風に本を運んだり、読んだりしているときに脳裏を過ぎり、わたくしを支えるのがアメリカの、殊ハーバード大学の学生たちの学習スタイルである。引用と要約をして、筆を擱く。

 ○要約
 【ハーバード大学生の読書について】
 かれらの読書量は1週1課平均200-250ページ、1学期中に無理なく受講できるのは4課目が限度といわれるから、毎週平均1,000ページを読むことになる。ゆえにかれらはどんな場所でも寸暇を惜しんで本を読む。
 教員が指定テキストを優しく噛み砕いて解説してくれる日本の大学と違って、ハーバードでは指定した文献を読んできていることを前提に講義を進められる。しかもディスカッションを中心とした講義スタイルだ。つまり、毎週平均1,000ページを読んでいないと講義についてゆけない。
(下村満子『ハーバード・メモリーズ』P70-74 [PHP文庫 1990/10])


 ○引用 いずれもスコット・トゥロー『ハーヴァード・ロー・スクール』(山室まりや・訳 ハヤカワ文庫NF 1985/04)より
 【ハーバード・ロー・スクール生の予習】
 週末を通して、ぼくは大いに勉強した。あの夜の救いがたい無能さの自覚を、ふたたび味わいたくなかったからだ。刑事法と契約法の宿題として出されたテキストの章を入念に要約し、そのあと、ペリーニが調べるように命じた二つの事件を、何度も読み返した。そして一語一語熟考し、あらゆる角度から調べたりしながら、二件に関する細密な判例メモを作成した。授業で指されたときの答えのリハーサルもやった。法律辞典も充分調べ、しまいには、オピニオンに出てくる重要な法律用語の定義をすっかり暗記してしまったぐらいだ。ペリーニについてはこれで大丈夫。万全の構えはできた。
(「登録──敵との出会い」P44-5)


 【アメリカ法学部生のふだんの勉強】
 肩にかついだしん玄袋ふうのナップザックに、千四、五百頁もある判例集を数冊詰め込んで、教室から教室へと移動するのが、アメリカの法学生の姿だが、宿題に追われて、オチオチ新聞も読んでいられない彼らからみれば、教養を積む暇も、人によっては遊ぶ暇さえある日本の法学生がふしぎに映るかもしれない。アメリカのロー・スクール図書館は、午前八時から夜半まで開いている。ハーヴァードでは土曜は午後六時まで、日曜は午後一時から開くというのが、以前は一日中開いていたというから、学習の圧力のすごさがしのばれる。
(山室まりや「付記/日・米法学教育事情の比較」P303-4)


──以上。
 そういえば、小沢一郎衆議院議員が学生時代に使った憲法テキストへの書込み写真も、影響しているか(佐藤章『職業政治家 小沢一郎』P247 朝日新聞出版 2020/09)。◆

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