第3728日目 〈きょう買った本──ルソー『社会契約論』。〉 [日々の思い・独り言]

 憲法の勉強をしていれば否応なく「国民主権」について考えることになる。
 日本国憲法は第一章第一条「天皇の地位・国民主権」で「(天皇の地位は)主権の存する日本国民の総意に基く」と定める。
 「総意」とは「人民の意思」。日本国憲法に於いて人民とは、「政治に参加できる年齢に達した成年者の集まり」((杉原泰雄『憲法読本 第4版』P185)を指す。「政治に参加できる年齢に達した成年者一人ひとりのことを市民(citizen, citoyen〔仏〕)とか公民とかよぶこともありますが、主権者のとしての国民はその市民の集まりとしての人民を」(同P186)いう。
 では「総意」を「人民の意思」と定義したのが誰かというと、フランスの教育学者で思想家のジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)である。政治哲学の著書に『人間不平等起源論』と『社会契約論』がある。
 この『社会契約論』でルソーは、「総意」とは「人民の意思」なり、と定義した。
 ──成る程、と膝を打った。
 聖書やキリスト教、或いは法学を趣味で勉強していると、自分に欠けていた領域が明らかになってくる。そうして、本を読んだり調べたり人に会って話したりして知っていることも知らなかったこと(教科書レヴェルでしか知らないことを含む)も、なにかをきっかけにしてそれぞれが結びついてきて、新たな扉を提示し開く後押しをしてくれる。
 この場合、近代市民憲法の礎ともなった人権宣言に興味を持ち、本文中に必然のように登場するモンテスキューやホッブス、ルソーへのアプローチを考えるようになった。法学を初めて学ぶ人向けの本や、或いは法哲学の本をぱらぱら目繰っていても、かれらは必ずというてよい程登場する。教科書や世界史事典の類に載る程度でしか知らないかれらのことを、もっと知りたくなるのは(少なくともわたくしにとっては)自然な流れであったのだ。
 わたくしの性癖なのかもしれぬが、こうした場合採る手段は、それを解説した本ではなく真っ直ぐにかれらの著作へ向かい、丸ごかしに読んで頭が沸騰したところで解説本に手を伸ばす、という、近道なのか遠回りなのかよくわからぬものだ。はい、今回、ルソーの場合もそうでした。
 「総意」を定義した箇所をこの目で確認したい。法律の制定を議会に白紙委任している(イギリス)国民が自由であるはずがない・議会に自分の運命を委ねてしまっているイギリス人は選挙のときを除けば奴隷といわざるを得ない、という箇所も、この目で確認したい。どのような文脈で指摘されているか知りたい。
 シャープペン片手に杉原『憲法読本』を読み進めるうち、その思いはゆっくりと強くなっていった。どこの文庫で読めるかを調べた。翌日、みなとみらいの本屋さんで逡巡した後に買い物カゴへ入れたのは、光文社古典新訳文庫版『社会契約論』とその前著になるらしい『人間不平等起源論』(いずれも中山元・訳)だった。岩波文庫版も迷ったけれど、明日以後の買い物にしよう。
 帰りの電車のなかで『社会契約論』を開いた。憲法の勉強をする傍ら幾度も開くことはあっても、本格的に読み出すには時間を要すだろう。挑み甲斐のある著作なのは間違いない。
 鉄は熱いうちに打て。読書ペースを少しばかり上げて、ルソーに取り掛かれるようにする。◆



社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)

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  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版




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