第3738日目 〈今年程「趣味:読書(ガチ)」で良かったと思う年も、そうなかなか無いだろう。〉 [日々の思い・独り言]

 腰の痛みに耐えかねて臥せったり朦朧としていたら、曜日の感覚がすっかり失せているのです。
……はて、今日はいったい何曜日であったろうか? 状況が状況ゆえ新聞を読むのも億劫で、テレビの報道番組とも御無沙汰していると、そんな風になる。
 え、スマホでネットニュース見ろ、ですって。見ていたさ、勿論。が、見ることと今日が何曜日か、何日なのか、は決して等号で結びつきはしない。テレビの報道番組でそれが可能なのは、キャスターが「何月何日何曜日……」とちゃんと伝えてくれるからだ──お察しと思うがみくらさんさんか、民放の報道番組は殆ど視聴しないのである(同じ地上波でも朝や昼間の情報番組[……嘆かわしい顔触れである]をよもや報道番組と曰う阿呆は居るまい)。
 そんな不毛で誰の得にもならないお話はさておき。
 曜日の感覚が狂うなんて時代劇の楽隠居じゃあるまいし、ね。なんだか世間の流れに取り残された感がいっぱいで、ああこれを〝寂寥〟っていうのかなぁ、定家卿が蟄居謹慎に処されたときの心境ってこんなだったのかなぁ、と徒然思いを馳せたことでありますよ。いや、勿論、わが身を準えるも烏滸がましいことであるのは承知している。承知しているが……若いときに読み耽った古典のそんな場面記述があれこれ脳裏を過ぎってゆくのです。これも「暇」の為せる技だろうか。
 ええ、この数日は暇でした。暇を余儀なくされる、というのも変な表現だが、横になっていても起きて立っていても、坐っていても、腰や背中に耐え難い痛みが生じてなにもできなかったのだから、もうこれを「暇」と呼ばずしてなんと呼ぶ。
 とはいえ、菜にもせず、ただ痛みをこらえて終日呆と過ごすのはわたくしの望むところでない。為、読書に励んだ。否、痛みを忘れるため、痛みをわずかなりとも和らげるため、そこから少しでも意識を逸らすため、読書に励んだ、というのが正しい。とはいえ、流石に憲法の本は読めぬ。シャープペン片手に集中するだけの根気がないのだ。
 この数日の読書を省みて納得するところあるのは、然程脳味噌を回転させずともよさそうな本ばかり読んでいたことだ。著者には失礼な物言いと承知しながら敢えて斯く述べるのは、或る程度理解しているもしくは知るところ多い分野については初読の本と雖も、痛みを一時的に忘れるための読書だとしても比較的すんなりと頭に入ってくる部分がかなりを占めることがあり、一方でコミックスというのは斯様な状況下で最もその効能を発揮する出版物と考えるからだ。ちなみに此度の読書においてそれぞれ代表をあげれば、前者では山本芳久・若松英輔『キリスト教講義』と山本芳久『キリスト教の核心』となり、後者については矢吹健太朗・漫画/長谷見沙貴・脚本『To LOVEる -とらぶる-』(全18巻のうち第1-12巻)と小畑健・作画/大場つぐみ・原作『バクマン。』(全20巻のうち第1-9巻)となる。
 いろいろツッコミどころのある読書ではあるが、なに、これはこれで良くバランスが取れているではないか。
 想定外の体調不良により蟄居を強いられた師走。それにしても今年は陥入爪の発症と悪化・手術、脳梗塞の発症と入院、白血病の定期検診、聴力の低下に伴う通院と経過観察、そうして今回の腰と背中の激痛と自宅療養、とまぁ色々と健康面でトラブルが続いた一年であった。その傍らにいつも「趣味:読書(ガチ)」があった幸福を噛みしめている。◆

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