第3739日目 〈ふたりの「放蕩息子」、親を想ふ。〉 [日々の思い・独り言]

 「ルカによる福音書」第15章に〈「放蕩息子」のたとえ〉と小見出しを持つエピソードがある(新共同訳)。
 生前の父に財産分与を請うた息子二人の弟の方は、それをすべて現金に換えて遠方の地で放蕩三昧に暮らした。が、その地が飢饉に見舞われると食うものに困り、紆余曲折あって故郷に還るのを決めた。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」(ルカ15:18-19) 父は遠くからこちらへ歩いてくる息子の姿を認めると駆け寄り、上等の着物と食事を用意させると近隣の知己を呼び招いて祝宴を催した。
 これが〈「放蕩息子」のたとえ〉の前半である。このあと故郷に留まって家作に従事した兄が父を詰り、諫められる場面が続くがそれは省く。
 本ブログで聖書読書ノートを連載(……?)していた時分には気附いていなかったが、この父はたまたま畑に立っているとき遠くへ目をやると下の息子の姿を見附けたのではなく、いつもそこにいて息子が還ってくるのを待ち続けていたのだ。呻きながら読んでいた山本芳久『キリスト教の核心』(NHK出版 2021/10)を読んでいて、そうであったか、と首肯し、そうして過去の自分を思い出した。
 三十代の前半、〈家〉のことで色々ありどうにも飼い慣らせぬ衝動に家中を暗くし、ギスギスさせ、挙げ句に一度だけながら宵刻家を飛び出した。どこをどうほっつき歩いたか、不動産会社時代に販売した建売住宅のある地域を回ったのは覚えているが、それ以外はとんと……。途中で雨が降ってきた。気附けば自宅前の道を歩いている。神社で雨宿りでもしよう。そのときだ、インターホンからわたくしを呼ぶ母の声がしたのは。
 謝って許してもらい、風呂に入り、あとで聞いたところでは、ずっと窓やインターホン越しに前の道を見続け、息子が通るのを待っていたそうだ。これをきっかけに荒ぶる心を鎮める術を身につけ、親孝行の道に入ってゆくのだが、それは別のお話。恥ずかしくて、流石に文字にできない。
 わたくしが「ルカ伝」にあるこの放蕩息子のエピソードを読んで親しみを感じたのは、いまにして思えば、この父親の姿が、母にかぶるところが大きかったせいだろう。
 山本芳久は件の本のなかで、放蕩息子を待ち続けて帰りを迎えた父親について、こう述べる。曰く、──

 この父親は単なる父ではなく、たとえ話として「父なる神」のことを語っているのです。自分に立ち戻ることは、父に立ち戻ること。そしてそれは神に立ち戻ることにつながっている。
 神になぞらえられる父親は息子に走り寄り、明確な許しの姿勢を示しています。それでこの息子は、自分が真に安住できる場所は父親のもとにあったのだということに気づきます。(P58-9)

──と。
 「ルカ伝」の時代は父性社会というのに加えてユダヤ教の神が男性的であることから、父親を神に準えた斯様なイエスの喩え話になりますが、宗教に関係なく男の子全般にとってはむしろ母親に準える方がよりわかりやすかろう。
 わたくしは父を事故で亡くしているから尚更かもしれないけれど、父親とは永遠に追いかける背中であり生き方の模範である。一方で母親とは、安住できる場所は勿論自宅だが、その場所を守り、なにをしでかしても帰りを迎えてくれる存在だった。こちらもそれなりに放蕩息子だったから、両親にどれだけ心配をかけたか怒らせたか悲しませたか、想像するに余りあるけれど、母には甘えられる分余計な心的負担をかけてしまった。すぐにそれを自覚し、反省して、……できる範囲で、できる限りいっぱいに孝行したと思うのだけれど、母も身罷ってしまった現在はそれを確かめる方法がない。
 女性を港に喩えたりするのも、放蕩息子のエピソードに於ける息子の帰りを待ちわびてずっと遠方へ目をこらしている父親と同じような理由からかもしれない。それを持つ人は、それだけで幸せだ。◆






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