第0007日目 〈出エジプト記:第22章第15節-第30節〈処女の誘惑〉、〈人道的律法〉&〈祭儀的律法〉〉09改訂済み [出エジプト記]
出エジプト記第22章15-30節です。
契約の書に関するノートは四日目になりました。
出21:15-16〈処女の誘惑〉
主はモーセにいった、━━
処女を犯したら結納金を払って妻にしなくてはなりません。拒まれたときは、結納金に相当するだけの銀を相手方へ支払いなさい、と。
出21:17-19〈死に値する罪〉
主はモーセにいった、━━
・女呪術師を生かしておいてはならない(出21:17)、
・すべて獣と寝る者は必ず死刑に処せられる(出21:18)、
・主ひとりのほか、神々に犠牲をささげる者は断ち滅ぼされる(出21:19)、と。
出21:20-26〈人道的律法〉
主はモーセにいった、━━
・寄留者を虐待したり迫害してはいけません。寄留者の気持ちはあなた方がいちばんよくわかっているでしょう?
・未亡人・孤児を苦しめたりしてはいけません。やったらあなたを槍で刺して、奥さんと子供を未亡人・孤児にします。
・高利貸しになってはいけません。利子を取ってもなりません。例えば隣人の上着を利子にしたらば、必ず夕方には返しなさい。それが隣人の肌をおおう唯一の着物だからです。
出21:21-30〈祭儀的律法〉
主はモーセにいった、━━
・神、主、つまり私をののしっちゃダメ!
・貢ぎ物(豊かな収穫と葡萄酒の封建)を遅らせたり、断(た)ってはなりません。
・あなたの初子を献げよ。牛と羊の初子についても七日目までは母と一緒でよいが、八日目には私にそれをささげよ。
・民は私に属する者となりなさい(=私だけを信じなさい)。
・野外で殺された獣の肉を食べてはいけません。
「人道的律法」での高利貸し云々の件、思わずシェイクスピアの『ヴェニスの商人』に出てくるユダヤ人高利貸しシャイロックを思い出します。
また、「祭儀的律法」での初子を献げよ、というのは、どうにも意味がわかりません。調べてみても、やはり意味不明、と書かれています。なぜ神は自らの民の初子を親から切り離して献げさせるのか? 字義通りに解釈すれば残虐極まりない。ここになんらかの意味を汲み取る事は可能か?
このあと、幾つかの決まり事を主はモーセに伝えて、契約の締結となります。
「出エジプト記」は民に生きるにあたっての規範を細々述べたあと、主をまつるために実際的な規則を綴ってゆきます。
おそらくそのあたりは今週末ぐらいには書けるのではないか、と思います。
それからは、また元のような読書ノートに戻るつもりです。
春から夏にかけて働いていた有楽町の某コンヴェンション・ホール。そこの先輩トレーナーが好きなのです。16歳差……。◆
契約の書に関するノートは四日目になりました。
出21:15-16〈処女の誘惑〉
主はモーセにいった、━━
処女を犯したら結納金を払って妻にしなくてはなりません。拒まれたときは、結納金に相当するだけの銀を相手方へ支払いなさい、と。
出21:17-19〈死に値する罪〉
主はモーセにいった、━━
・女呪術師を生かしておいてはならない(出21:17)、
・すべて獣と寝る者は必ず死刑に処せられる(出21:18)、
・主ひとりのほか、神々に犠牲をささげる者は断ち滅ぼされる(出21:19)、と。
出21:20-26〈人道的律法〉
主はモーセにいった、━━
・寄留者を虐待したり迫害してはいけません。寄留者の気持ちはあなた方がいちばんよくわかっているでしょう?
・未亡人・孤児を苦しめたりしてはいけません。やったらあなたを槍で刺して、奥さんと子供を未亡人・孤児にします。
・高利貸しになってはいけません。利子を取ってもなりません。例えば隣人の上着を利子にしたらば、必ず夕方には返しなさい。それが隣人の肌をおおう唯一の着物だからです。
出21:21-30〈祭儀的律法〉
主はモーセにいった、━━
・神、主、つまり私をののしっちゃダメ!
・貢ぎ物(豊かな収穫と葡萄酒の封建)を遅らせたり、断(た)ってはなりません。
・あなたの初子を献げよ。牛と羊の初子についても七日目までは母と一緒でよいが、八日目には私にそれをささげよ。
・民は私に属する者となりなさい(=私だけを信じなさい)。
・野外で殺された獣の肉を食べてはいけません。
「人道的律法」での高利貸し云々の件、思わずシェイクスピアの『ヴェニスの商人』に出てくるユダヤ人高利貸しシャイロックを思い出します。
また、「祭儀的律法」での初子を献げよ、というのは、どうにも意味がわかりません。調べてみても、やはり意味不明、と書かれています。なぜ神は自らの民の初子を親から切り離して献げさせるのか? 字義通りに解釈すれば残虐極まりない。ここになんらかの意味を汲み取る事は可能か?
このあと、幾つかの決まり事を主はモーセに伝えて、契約の締結となります。
「出エジプト記」は民に生きるにあたっての規範を細々述べたあと、主をまつるために実際的な規則を綴ってゆきます。
おそらくそのあたりは今週末ぐらいには書けるのではないか、と思います。
それからは、また元のような読書ノートに戻るつもりです。
春から夏にかけて働いていた有楽町の某コンヴェンション・ホール。そこの先輩トレーナーが好きなのです。16歳差……。◆
タグ:聖書・出エジプト記