第0041日目 〈レビ記第4章・贖罪の献げ物 1/2〉 [レビ記]

 レビ記第4章は長いパートです。次の章にまたがって〈贖罪の献げ物〉について語られます。
 従ってさんさんかのブログも、2日にわたって〈贖罪の献げ物〉のノートを掲載します。

 今日は、その第1日目。

 〈贖罪の献げ物〉で語られるのは、「過って主の戒めに違反し、禁じられていることをしてそれを一つでも破ったときの規定」(レビ記4:2)であります。


 ・祭司が罪を犯して責が民に及んだ場合は、贖罪の献げ物として、無傷の若い雄牛をささげる。
 贖罪の献げ物の儀式の次第は、……
 1:臨在の幕屋の前で牛を屠り、祭司はその血を聖なる垂れ幕の前で七度、振りまく。
 2:(血を)香を焚く祭壇の四隅の角に塗り、残りは(焼き尽くす献げ物の)祭壇の基部に流す。
 3:牛の体内から、「内蔵をおおっている脂肪、内臓にくっついているすべての脂肪、2つの肝臓とそれに付着する腰のあたりの脂肪、腎臓と共に切り取った肝臓の尾状葉」を、焼き尽くす献げ物の祭壇で燃やして灰にする。
 4:残りの部位、すなわち雄牛の皮、肉、頭、四肢、内臓と胃の中身は、(宿営の外にある)焼却場で焼き捨てる。

 ・イスラエルの共同体全体が過ちを犯した場合、会衆は若い雄牛を贖罪の献げ物としてささげる(「会衆の贖罪の献げ物」)。
 儀式の次第は、上述の次第と同じですが、共同体全体の罪でありますから、共同体の長老たちが儀式へ関与する、というところが相違点でしょうか。
 なお、この「過ちを犯した」というのは、「仮に罪が露呈せずとも、十戒の戒めを破り、その罪に気附いたときは」という含みを持っております。
 出エジプト記の件の章を読み直してみると、遠い響きが感じられて面白いと思います。

 ・共同体の代表者が罪を犯した場合、無傷の若い雄山羊を贖罪の献げ物とする。
 「祭司がこうして彼のために罪を贖う儀式を行うと、彼の罪は赦される」(レビ記4:26)

 ・一般の人の誰か(個人)が罪を犯した場合、無傷の若い雌山羊を贖罪の献げ物とする。「祭司がこうして彼の犯した罪を贖う儀式を行うと、彼の罪は赦される」(レビ記4:35)

 高位にあるものが罪を犯すと献げ物は若い雄牛、個人が罪を犯すと献げ物は若い山羊、というところでなのしょうか。
 ◎祭司と共同体全体 → ①若い雄牛をささげる
                ②犯した罪が贖われる(赦される)と約束されてはいない。
 ◎共同体に属する個人→①若い雌雄の山羊をささげる。
                 ②犯した罪は贖われる(赦される)と約束されている。


 書店の聖書コーナーやキリスト教書店の棚の前で、しばしば悩むこと。
 簡単なものでいいので、聖書事典やコンコルダンス、あるいはいま読んでいる書の注釈書が欲しいな、と。
 注釈書は図書館から借り出せばいいかもしれないけれど、事典やコンコルダンスは、ねぇ……いつか買っちゃうかな。


 モーツァルトのオペラ《フィガロの結婚》を聴いています。オペラを聴く楽しみがこの作品に、ぎゅっ、と詰めこまれている気がします。
 ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団・合唱団、DFD,ヤノヴィッツ、マティス、プライ、と名歌手そろい踏みの贅沢な一組です。1968年3月録音、ベルリン、イエス・キリスト教会にて(F95G 50331/3)。◆

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