第0042日目 〈レビ記第5章・贖罪の献げ物 2/2〉 [レビ記]

 レビ記第5章をお届けします。
 第4章のノート冒頭で申し上げたように、〈贖罪の献げ物〉についての記述は、2章にまたがって語られました(第5章もですけど)。

 今日は、その第2回目となります。
 誰かが罪を犯して責めを負うのは、こんなときである、と第5章は語り起こされます。


 責めを負うのは、こんなときです、……
 ①誰かが罪を犯したと知っても黙っていたとき、
 ②獣の死骸に気附かずに触れたとき、
 ③人体から生じる汚れに気附かず触れたとき、
 ④軽はずみな誓いを立てたとき、
であります。

 当然ながら、これらの罪を贖うための儀式の次第が、続いて語られます。
 これをフローチャート化すると、こうなりました。
 告解→代償(贖罪)の献げ物をささげる→罪の償い

 この場合、贖罪の献げ物としてささげられるのは、雌の羊か山羊であります。

 なお、貧しくて雌の羊か山羊が用意できない場合は、……
 ・二羽の山鳩か家鳩をささげる。
 そのうちの一羽が焼き尽くす献げ物、もう一羽が贖罪の献げ物としてささげられる。

 なお、貧しくて二羽の山鳩か家鳩も用意できない場合は、……
 ・小麦粉1/10エファを贖罪の献げ物としなさい、と主はいいました。

 もしそれも用意できないようなら……応相談、というところだったのでしょうか?

 「誰かが罪を犯した場合、以上のいずれかに従って、祭司が彼のために罪を贖う儀式を行うと、彼の罪は赦される」(レビ記5:13)


 ベームとウィーン・フィルの1975年NHKライヴのCDを聴きました(POCG-3119)。ブラームスの第一交響曲が立派で興奮、感動した。でも、それ以上に衝撃的だったのがストラヴィンスキーの《火の鳥》(1919年版)。これまで抱いていたベームのイメージが一新された、肉の奥へまで斬りこむような鋭さに背筋がゾクリ、としました。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。