第0082日目 〈「民数記」前夜、シューマン、〈彼女〉のことなど〉 [民数記]

 先日予告したように、明日から聖書の読書ノートを再開。「民数記」からスタートです。
 「民数記」という書題の謂われは、冒頭で人口調査が行われるところに起因しています。
 ざっと読んでみたところ、「レビ記」とは違う意味で、通読に忍耐を要しそうな予感。
 これまで同様、腰を据えて焦らず、じっくりゆっくり読んでゆこう。それしか手段はない。


 シューマンの《ミサ・サクラ》とオラトリオ《ばらの巡礼》を昨日から聴いています。
 シューベルトよりシューマンの方が好きなんですよ、実は。聴き応えがあるように感じるのです。
 歌曲であれ宗教曲であれ、シューマンの声楽曲はいつまでも聴いていたい。


 数日前から第二稿を作成している小説について、「覚え書き」として書いておきます。
 これを書き始めたのは今年の春浅い頃。死んだ婚約者への気持ちに整理をつけ、新しい第一歩を踏み出すための努力でした。
 そこへ〈彼女〉━━敬愛なるS.ホームズに倣うなら〈あの女性〉か━━が現れました。
 初稿ではそうでもなかったけれど、いまとなってはこの人の影も相当濃厚なものに。
 確かにそのとき、ぼくは彼女を好きになった。いまに至るも想いは引きずっています。
 第二稿には、それが顕著になって現れた箇所がある。わかる人がいたなら、その人だけがわかればよい。特になにも期待はしないけれど、いつまでも希望は持っていたい。
 小説の該当箇所は、こういうものです、……

「作家はマーシャル・レコードで、バーバラ・ヘンドリックスが歌うシューベルト歌曲集とミシェル・コルボ指揮するシューベルトのミサ曲第五番、カラヤン指揮するオネゲルの交響曲のCDと、ピート・シーガーのベスト盤を買った。シューベルトは先月、東京国際フォーラムをメイン会場にして行われた“ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン”で聴いて探していたものである。そのときの会場は、ホールCだった。
 嗚呼、思い出よ、永久(とこしえ)にみずみずしくあれ。
 悠久の希望よ、絶えることなく彼の人の道を照らせ。」
(無断使用、改竄、引用、借用その他の行為の一切を禁ず)◆

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