第0195日目 〈ヨシュア記第11章:〈ハツォルとその同盟国の征服〉&〈占領地〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第11章です。

 ヨシュ11:1-15〈ハツォルとその同盟国の征服〉
 王国の盟主、ハツォルの王ヤビンがイスラエルを迎え撃つため、同盟国へ伝令を遣わし、メロムの水場へ集結、総力戦に挑んだ。
 しかし、主は既に彼らの運命を自らの民へ渡していた。ヨシュアはメロムの水場を急襲し、ハツォルの連合軍を破り、人間をことごとく剣にかけて滅ぼし、馬の脚の筋を切り、戦車を焼き払った。ハツォルは占領され、王も殺められ、町は焼き滅ぼされた。但し、焼き討ちに遭ったのはハツォルのみで、他の、丘の上の町はそのままであった。
 「主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりとした。主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった。」(ヨシュ11:15)

 ヨシュ11:16-23〈占領地〉
 これらの侵攻によってヨシュア/イスラエルは塩の海(死海)のずっと北方、キネレト湖(ガリラヤ湖。現在のチベリアス湖)の周辺地域、即ち、「山地、ネゲブ全域、ゴシュンの全地域、シェフェラ、アラバ、イスラエルの山地とそれに続くシェフェラ、すなわちセイル途上にあるハラク山から北はヘルモン山のふもとにあるレバノンの谷にあるバアル・ガドまで」(ヨシュ11:16-17)の広大な一帯である。
 このうち和を結んで得たのはギブオンのみで、他はすべて侵攻の途上の戦によって得た。アナク人はイスラエルの領内から敗走し、ガザ(※)などに残るのみとなった。
 「この地方の戦いは、こうして終わった。」(ヨシュ11:23)

 ※昨今世界情勢の話題の的になる、あのガザであります。

 いよいよ、聖書事典の類と地図を導入する気になりました。しかし、前者はともかく、後者はなかなか良いものがない……。困ったものであります。



 晴れ渡って雲一つないこの前の日曜日、赤レンガ倉庫へおふらんすからやって来た機械仕掛けの大クモと小クモのパレードを観てきました。故郷の町の開港150年博を飾るイヴェントの一環。
 ふと、“群衆のなかのロビンソン・クルーソー”という言葉が浮かぶ。嘗て江戸川乱歩がアーサー・マッケンを評して残した名句。今日の自分はつくづくそれだな、と。
 多くの家族連れがいて、多くのカップルがいて。結婚式までやっていて、花婿さんも花嫁さんも幸せそうで、周囲の人から歓声と祝福と拍手を受けて。
 世の中には何故斯くもパートナーのいる人ばかりなのだろう?
 独り身って本当はこの世界にぼくだけしかいないのではないか?
 この人混みのなかにあの人がいる。なぜか、そう思った。たちまち深い孤独感に襲われた。そして、その場を離れた。あの人が誰かと仲むつまじくしている場面なんて、できれば目にしない方が良いに決まっている。
 あんなちっぽけな幸せさえ、ぼくには求めても与えられないのか。その努力さえ常に無に帰すばかりで。なんでこんなにカップルやパートナーのいる人ばかりなんだろう。たった一つの希望は、ただ一人の人と向き合うことだけなのに。
 愛する者はすべて、根刮ぎ奪い取られる。それはぼくの人生に於いて不変の真実である。それは永久に続くのかな?
 ただ一つの希望を与えてほしい。おぐゆーさん、ぼくを救ってください。……。

 まぁ、mixiなりどこなりででも、自分たちだけの閉鎖されたコミュニティで、“カカカ”と笑えばいい。
 ぼくはそんな「君たち」を軽蔑し冷笑する。「君たち」はぼくの何を知っているの? どんな<事実>を知っているんだい?
 「君たち」がやっているのは、単なる子供じみた中傷。◆

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