第0221日目 〈士師記第2章1/2:〈カナンの征服〉2/2〉 [士師記]

 士師記第2章(1/2)です。

 士2:1-5〈カナンの征服〉2/2
 (士1に於いてカナン人がなんらかの形で嗣業の土地のなかに住まっているのを承けて)
 ギルガルから主の使い(ピネハスか?)がボキム(由来は後述)へやって来て、主の言葉をイスラエルに告げた、━━
 主は民に問うた、なぜ私との契約に違うことをしたのか、と。
 「私の声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。」(士2:2)
 民の弁明を待たずに主はいった、「私は彼らを追い払って、あなたたちの前から去らせることはしない。彼らはあなたたちと隣り合わせとなり、彼らの神はあなたたちの罠となろう。」(主2:3)
 これを聞いた民は一斉に嘆き悲しみ、声をあげて泣いた。それゆえこの地はボキム、即ち「泣く者」と呼ばれるのである。
 イスラエルはボキムの地にて、主にいけにえをささげた。

 ここでは破られた契約について語られました。
 では、根本となる“契約”とはなんだったのか? 出エジプト記にてすべて語られていました。当該箇所をざっと挙げると、出20:3-6,14,出23:31-33というところでしょうか。もう一遍、出エジプト記第20章(十戒)以降に目を通して良いかもしれません。

 第1章と第2章の前半は士師記の序章みたいなものですが、士師記で繰り広げられ、展開されるイスラエルの過酷な運命が、既にここで端的に触れられます。
 主はなぜ民を見捨てるような真似をしたのか。
 民は主に見捨てられるような、どんな行いをしたのか。
 士師記とは、これらを巡る、或る意味で救いようのない書物であります。

 個人的なことを申せば、第2章を読んで小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の小説、「破られた約束」を思い出しました。
 根本的に士師記も八雲も、“破約”の構造は同じです。つまり、こういうこと、━━
 あなたと私の間に交わされた約束/契約は、絶対的な効力を有します。これに背いたときには、問答無用であなたの上に災いが降りかかって、それから逃れることはできません。



 アナイス・ニンの『小鳥たち』(矢川澄子・訳 新潮文庫)を読みました。……うわぁ、エロティック!
 いやらしいとかエッチじゃなくて、官能もフェチも倒錯も、筆を極めた者が綴れば、斯くも高い次元にまで引き上げられる、という好き見本。
 特にお若い一流企業のOL方、殊に真っ当な常識と理知性を持つお嬢さま方は、ぜひご一読を。◆

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