第0224日目 〈士師記第3章2/2:〈オトニエル〉、〈エフド〉&〈シャムガル〉〉 [士師記]

  士師記第3章(2/2)です。

 士3:7-11〈オトニエル〉
 それでもイスラエルは主に背き、蛮行姦淫を続けたのである。
 主は怒り心頭に発して、民をアラム・ナハライム(ヘブライ語でメソポタミアを指す)の王クシャン・リシュアタイムの手に渡した。
 民は8年間それに苦しみ、自分たちの神、主へ助けを乞うた。
 主は士師を立ててイスラエルを裁かせた。その者をケナズ人エフネの子カレブの弟(甥とも)オトニエルという。
 オトニエルはクシャン・リシュアタイムと戦ってこれを倒した。以後、40年の平穏が保たれた。
 やがてオトニエルは死んだ。
【カレブは民32:12,ヨシュ14:6他に登場した。ケナズ人はエドムの一族と結びつき(創36:11)、ユダ族と関係があった。
 オトニエルはヨシュ15:17,士1:13に登場した。いずれの場合も、キルヤト・セフェル(旧名をデビル)の町を陥落させ、カレブの娘アクサを町の相続の証しとして妻に貰い受けた、という件りで触れられている。アクサは乾燥地帯のゆえに父カレブに泉を所望し、上の泉と下の泉を与えられた。】

 士3:12-30〈エフド〉
 斯様なことがあっても尚、イスラエルは主に背いて蛮行姦淫を繰り返した。
 主は怒り心頭に発して、民をモアブの王エグロンの手に渡した。
 エグロン王はアンモン人とアマレク人を集めてイスラエルを破り、なつめやしの町、即ちエリコを占領した(ヨシュ6:26「この町エリコを再建しようとする者は/主の呪いを受ける」と矛盾)。
 民は18年間それに苦しみ、自分たちの神、主へ助けを乞うた。
 主は士師を立ててイスラエルに遣わした。その者をベニヤミン族のゲラの子、左利きのエフドという。
 エフドは民と謀り、エグロン王へ貢ぎ物を携えて前に立った。
 そうして、屋上にしつらえられた涼しい部屋に一人いる王を剣で殺め、イスラエルの許へ帰った。
 エフライムの山地で吹いた角笛に集まってきたイスラエルを率いて、エフドは王亡き騒然とするなつめやしの町、エリコを攻め、モアブへ向かうヨルダンの渡しを掌中に収めた。モアブ人は誰一人として生きて逃れられなかった。
 平穏は以後80年保たれた。
【最初に登場した士師オトニエルのときとは一転して、プロットを備えたエピソードが現れた。このように動きのあるエピソードは久しぶりではあるまいか。
 ところで、エリコの町は再建されたのか? そうではあるまい。ティンデル・士師記(アーサー.E.カンダル)によれば青銅器時代のエリコ一帯は長く誰にも占領されなかった、しかしここは十分な給水設備を有して下流ヨルダン低地を支配していた、と想定される、とある。一時的に占領したのが、荒廃したエリコの町であった、という程度で考えればよいであろう】

 士3:31〈シャムガル〉
 エフド亡きあとの士師はアナトの子シャムガルであった。
 彼は牛追い棒で600人のペリシテ人を打ち殺した。
 シャムガルは小士師である。

 活躍が短く触れられるだけの士師を「小士師」、大きく取りあげられる士師を「大士師」と、学問的には呼ぶ由。但し、常ながら例外はある。やがて登場するエフタ(士11-12)が、その例外に属する士師です。
 「大士師」と「小士師」については、岩波・旧約聖書Ⅳ『ヨシュア記・士師記』の解説が簡潔ながら有益でありましょう(P248-249)。



 駅近のトリス・バーにて暫し黙酒する。
 飲みながら、借りた蝶々の本を読む。
 確信に満ちた思いがついに浮上した。
 おぐゆーさんってホント、蝶々に酷似の顔立ちをされておられます。◆

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