第0232日目 〈士師記第11章:〈エフタ〉1/2〉 [士師記]

 士師記第11章です。

 士11:1-40〈エフタ〉1/2
 アンモンへ戦いを仕掛け、ギデオン全住民の頭となったのは、ギレアドの勇者エフタであった。
 出自が卑しいため同族の者から虐げられトブの地に移り住んだが、いまや次の士師として召命されたのだ。
 エフタはトブへ訪れたギレアドの長老たちの要請を断り続けたが、「主がわたしたちの一問一答の証人です。わたしたちは必ずあなたのお言葉通りにいたします。」(士11:10)と誓ったので、イスラエルが陣を置くミツパへ赴き、主の御前で自分がいった言葉を繰り返した。

 エフタはアンモンの王へ使者を送った。汝らは何故イスラエルを攻めるのか、汝らの占拠した土地をすべて平和裡に返還せよ、と。
 再度の使者が士師エフタの言葉をアンモンの王へ伝えた。イスラエルには出エジプトからカナン入植までの土地取得に至る正当性があり、いまさらアンモンの民らが自分たちの土地を取り戻そうとは何事か、と。
 「わたしはあなたに何も間違ったことをしていない。あなたこそ戦いを仕掛けて、わたしに不当なことをしている。審判者である主が、今日、イスラエルの人々とアンモンの人々の間を裁いてくださるように。」(主11:27)
 ※「あなた」=アンモン。
 【エフタの登場からここまでは、なんだかカッコいいなっ!】

 兵を進めてアンモンを屈服させる前、エフタは勝利して帰還した暁には、最初に戸口から出てきたものを焼き尽くす献げ物としてささげる、と(軽率にも)誓ってしまった。イスラエルは戦に勝利し、民は帰還した。
 が、勝って帰ったエフタを戸口から出て最初に出迎えたのは、ただ一人の娘であった。エフタは嘆き悲しんだ。娘は父に、主への誓い通りに我が身を焼き尽くす献げ物としてささげてくれ、と頼んだ。二ヶ月間山中をさすらって処女のまま死ぬのを悲しんでからなら、自分は主への焼き尽くす献げ物として身を挺そう、と。これは即ち、子供を産み育てることを知らぬまま、という意味である。
 エフタはそれを聞き入れ、娘は二ヶ月の後に焼き尽くす献げ物として主へささげられた。
 以来毎年、一年のうちの四日間、イスラエルの娘たちはエフタの愛娘の死を嘆き悲しむようになった。


 子供を焼き尽くす献げ物として主へささげなくてはならない、というのは、嘗て創世記でもアブラハムが経験しました(創22:2-18)。
 息子イサクを連れてモリヤの地へ行け、そこで私(主)に彼を焼きつく献げ物としてささげよ。アブラハムはその残酷な指示に従い、息子を連れて件の地へ出掛けた。イサクの訝しみも反らして(「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」創22:8)。が、それは主の試しであった。息子イサクはアブラハムの信仰を計るダシであった。焼き尽くす献げ物は別にささげられた。アブラハムの信仰ゆえに、主は彼の子孫の繁栄と守護を約束した。
 アブラハムの子孫の繁栄と守護━━それが主とイスラエルとの間に結ばれた契約であり、後の出エジプトから“乳と蜜の流れる地”カナンへの入植という、モーセを経てアロンがつなぎ、ヨシュアが完成させた、主との約束の礎でありました。
 (創世記を読んでいない方は[つまり、このブログから聖書と付き合い始めた、という方は]、これを契機にまるごかしに創世記を読んでみることをお奨めします。このブログで創世記に戻るのは、かなり先のことになりますために、それとこの先創世記を踏まえた記述も出て来るでしょうから、そのたびに新たに創世記を繙き流れのわからぬままつまみ読むよりは、ずっと健全であると思います)
 さて。
 しかしエフタの場合は違う。アブラハムのそれと異なり、自分のうっかりから斯く申してしまった。はっきりいわずとも救い難い(エフタ、早くも旧約聖書イチの<うっかりさん>候補に認定)。だからこそ主からのお目こぼしはなく、娘をささげる羽目になった。自分が勝利して生還したら、まず戸口に姿を現しそこから出て来るのは己の身内でありましょう。それについてまるで考えずに軽率な誓いをしてしまったがゆえの悲劇であり、笑うに笑えぬ真に馬鹿げた喜劇で、第11章は締め括られたわけであります。
 もっとも、創世記と士師記では背景となる主への信仰がまるで異なるので、一概に同列には申し上げられませんけれど。

 エフタの物語は次の第12章にまたがります。その第12章はエフタといわゆる小士師3人の記述に分けられます。そこで記述を通りやすくするために、次の章は2日に分けてゆくこととします。



 雨が降る降る、風もたっぷり吹いてくる。スカパー!はやはり光に切り替えるべきだ、と決心。でも、明日になったら、まぁいいか、で済んでしまっていそうな予感。
 全体の見通しもなく書き出した小説はゆるゆる進行中。村上春樹と三浦しをんの新作の誘惑に全面降伏することなく筆を執り続けられればよいのだが、早くも惨敗の予感。
 タブッキ『供述によるとペレイラは……』もあるからねぇ。◆

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