第0238日目 〈士師記第16章:〈サムソン〉4/4〉 [士師記]

 士師記第16章です。

 士16:1-31〈サムソン〉4/4
 サムソンはソレクの谷のデリラを見初めた。彼女はペリシテ人であった。当時、既にサムソンの怪力や激情はペリシテ人の知るところとなっていた。彼を打ち負かし、縛り上げて苦しめようと画策するペリシテ人の領主たちの頼みを聞き入れたデリラ。
 デリラはサムソンに訊ねた。サムソンは答えた。「乾いていない新しい弓弦七本で縛ればよい。そうすればわたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう。」(士16:7) ペリシテ人の領主たちはさっそくその通りにした。が、サムソンは魂胆を見破っていた。「(サムソンは)弓弦をまるで麻のひもが火にあぶられて切れるように断ち切ってしまった」(士16:9)のである。
 ペリシテ人の企みは失敗に終わった。デリラはサムソンに訴えた、━━、なぜあなたは私に嘘をつくの? あなたを縛りあげるにはどうすればいいのか、と訊いているだけなのに。
 サムソンは答えた。「まだ一度も使ったことのない新しい縄でしっかりと縛れば、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう。」(士16:11) ペリシテ人の領主たちはさっそくその通りにした。が、サムソンは魂胆を見破っていた。「腕の縄をまるで糸のように断ち切ってしまった」(士16:12)のである。
 ペリシテ人の企みは失敗に終わった。デリラはサムソンに訴えた、━━、なぜ二度も私に嘘をつくの? あなたを縛りあげるにはどうすればいいのか、と訊いているだけなのに。
 サムソンは答えた。「わたしの髪の毛七房を機の縦糸と共に織り込めばいいのだ。」(士16:13) ペリシテ人の領主たちはさっそくその通りにした。が、サムソンは魂胆を見破っていた。「釘も、機織り機と縦糸も引き抜いてしまった」(士16:14)のである。

 「デリラは彼にいった。『あなたの心はわたしにはないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか。もう三回もあなたは私を侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくださらなかった。』来る日も来る日も彼女がこう言ってしつこく迫ったので、サムソンはそれに耐えきれず死にそうになり、ついに心の中を一切打ち明けた。『わたしは母の胎内にいたときからナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、わたしの力は抜けて、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう』
 デリラは彼が心の中を一切打ち明けたことを見て取り、ペリシテ人の領主たちに使いをやり、『上ってきてください。今度こそ、彼は心の中を一切打ち明けました』と言わせた。」(士16:15-18)
 サムソンがデリラの膝枕で眠っている間に、彼の髪の毛七房は削ぎ落とされ、彼の体からは力が抜けた。斯くしてサムソンは倒れた。
 ペリシテ人はいけにえを彼らの神ダゴンへささげ、領主たちも民もサムソン拿捕を喜び祝った。サムソンはペリシテ人の前へ引き立てられてき、見せ物とされた。
 サムソンは自らの神、イスラエルの神、主へ祈った。いま一度我に力を与え、ペリシテ人へ復讐を果たさせよ、と。
 「それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。そこでサムソンは、『わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい』と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった。彼の兄弟たち、家族の者たちが皆、下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び、そこに葬った。彼は二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。」(士16:29-31)


 サムソンの物語第1回(もうずっと遠くに日に思えます)の末尾にちょっと書いたサン=サーンスのオペラの中心を成すのが、今日掲げたサムソン最後の物語であります。興味のある人は、オペラと較べてみると面白いと思います。
 しかしながら、サムソンは士師としての役割を本当に果たしていたのか、彼が大士師として語られるのはその点疑問であります。資格云々でいえば、これまで見てきた大士師と同列には論じられないように思えます。さりながらサムソンの物語が色と匂いに充ちているのは事実で、この点は他の大士師の物語と毛色が異なるようであります。でも、十分に面白く読むことができますし、新しい物語のタネを幾つも含んでいるのも、これまた事実といえましょう。
 一連のサムソン物語には、古より語られてきた伝説や伝承の英雄譚の原型が見られそうです。例えばさんさんかは、デリラとの問答の末についに真実を告白してしまうサムソンの愚かさに、たびたびの引き合いで恐縮ですが、ワーグナーのオペラに出て来る〈純なる愚か者〉……ジークフリートやパルジファルを連想するのです。確か、それらの原典であるドイツや北欧の神話、アーサー王や王女クードルーンの物語にも、そんな裏付けとなる人物が登場してきた、と記憶します(文献が手許にないのでうろ覚えのまま書いています。事実誤認があればお許しください)。
 さて。怪奇小説党の方には見過ごせぬ固有名詞が登場したのではないでしょうか。そう、「ダゴン」です。以前このブログでラヴクラフトという人の小伝を書きましたが、彼の初期短編にやはり「ダゴン」(“Dagon”1923)という小説があります。クトゥルー神の眷族で半人半魚の衣類です。旧約聖書ではこの士師記第16章が初出、「サムエル記上」第5章第2-5節でも登場します。契約の箱が奪われた後の章ですけれど、イスラエルの神、主とペリシテ人の神ダゴンの力比べめいた場面が、ちょっと印象に残る章でありました。なお、大瀧啓裕氏は『ラヴクラフト全集』第3巻の解説にて、ダゴン神が顔と手は人間で体は魚をしている魚を司る神である、と紹介しております(P319 創元推理文庫:東京創元社)。
 この最後のサムソン物語、読んでいてどうにもやりきれぬ思いに駆られました。自分が板挟みになっているせいかもしれません。嗚呼……。



 今宵はつのだたかしのリュート曲集。ヴァイセのシャコンヌがしみじみと胸に迫ります。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。