第0252日目 〈アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは……』感想〉 [日々の思い・独り言]

 さかのぼること06月08日(月)午後、アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは……』を読み終えました。あざやかな印象が心の底からいまも消えません。
 タブッキの小説としてはいちばん読みやすいよ、と友がいうのを助けに、馴れぬイタリア小説をゆっくり読んできましたが、これは本当に面白かった! ああ、こんな面白い小説があったんだなぁ……読まずに死なないで、良かった。本当に、良かった。

 主人公はリスボンの新聞編集者ペレイラ。妻を亡くした肥満の男、教会へ行くのはサボりがち、政治的にはノンポリな、はっきりいって昼行灯な男、それがペレイラです。
 日常の行動規範から外れそうで外れない彼が、終幕に至って断固とした勇気と信念に突き動かされて一歩外へ出て、未知の世界へ脱出してゆくラストは、読んでいてぐっと胸に迫るものがありました。“感動”とかではない、もっと根源的な意味で、心を鷲摑みにされたのです。

 原文がどうなのか、不勉強にして知りませんが、約物(「」とかね)を使わず会話を地の文に組みこみ、なおかつ誰が喋っているのか一度も迷わされたことがない。実際にやってみればわかりますが、これは非常な高等技術。訳者須賀敦子の芸の確かさを示していましょう。同じことを〈狐〉こと山村修も指摘していますが、この点はどれだけ称賛しても足りぬでしょう。
 それに、たたずまいの凛としたたおやかな日本語は、自然とリズムを生み出して、声に出しても黙読しても気持ちよいのですね。翻訳書では久しく味わったことのない〈日本語を読む愉しみ〉を味わいました。

 読了直前、読むのを敢えて中断して気持ちを落ち着けたこと、一度や二度ではない。これこそが、この小説の面白さを十全におわかりいただける言葉と信じます。
 もう少しタブッキを読んでみよう、そう考えたわたくしの机の端には現在、同じ訳者による『インド夜想曲』と『遠い水平線』が待機しています。◆ 

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