第0274日目 〈サムエル記上第7章2/2:〈イスラエルの指導者サムエル〉〉 [サムエル記・上]

 サムエル記上第7章2/2です。

 サム上7:2-17〈イスラエルの指導者サムエル〉
 サム上7:1から20年後。民はこぞって主を慕い、求めていた。
 サムエルはすべてのイスラエルに向かっていった。あなたたちが主に立ち帰って正しくなり、異神を捨て去って主に仕えるなら、主はペリシテ人の手からあなた方を救ってくださる、と。民は異神、即ちバアルとアシュトレトを除いて、主に心を尽くして立ち帰り、主に仕えた。
 サムエルはミツパにすべての民を集めて、祈った。
 「人々はミツパに集まると、水をくみ上げて主の御前に注ぎ、その日は断食し、その所で『わたしたちは主に罪を犯しました』と言った。サムエルはミツパでイスラエルの人々に裁きを行った。」(サム上7:6)
 その最中、ペリシテは再びイスラエルを襲った(註1)。イスラエルは主に助けを求め、焼き尽くす献げ物(乳離れしていない小羊一匹)をささげた。そうして戦に赴いた。
 主はペリシテの上に激しい雷鳴を轟かせ、ペリシテ軍を混乱に陥れた。イスラエル軍はこれを打ち負かした。
 ミツパとシェン(「おそらくベト・カルにあった犬歯のように鋭く突き出た岩」岩波Ⅴ『サムエル記』P38脚注)の間に石を置いた。「今まで、主は我々を助けてくださった」(サム上7:12)といったから、その石は“エベン・エゼル”即ち「助けの石」と呼ばれた(註2)。
 ペリシテがイスラエルへ侵入して襲うことは、もう二度となかった。ペリシテ領であったアシュドド~アシュケロン~ガザ~ガト~エクロンそとその周辺は、再びイスラエル領になった(元来はユダ族に与えられた土地のなかにあった。ヨシュ15:45-47を参照)。
 サムエルは生涯に渡ってイスラエルを裁いた。ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩いて、毎年裁きを行った。また、家のあるラマの町でも裁きを行い、主のための祭壇を築いたのである。

 久しぶりの註です。いずれもティンデル聖書注解『サムエル記』(ジョイス・G・ボールドウィン著 いのちのことば社)を読んでいて、気づかされた箇所。自分なりにまとめて、出典を明記しておきます。
 註1)ベニヤミン領内のミツパはエルサレムの北方約5キロの場所にあり、丘を越えて南北をつなぐ主要道路の途上にある地。そこは「見張り塔」の意味を持つことから推察できる如く、眺望の良い要衝であった。そこは他の地からも見ることができた。ゆえにペリシテはミツパに祈りのために集まっていたイスラエルを見て、攻撃の前兆と思いこみ先手を打って攻撃してきたのである。『ティンデル:サムエル記』P81下-82上
 註2)サム上4:1にてイスラエルが対ペリシテの陣を置いた場所も“エベン・エゼル”であった。縁あるエピソードで登場する固有名詞だけに同一の場所と推定されるが、同名というのみで位置の異なる場所であった可能性も否定できない。『ティンデル:サムエル記』P83上

 断食と信仰告白が祈りと戦いの場面をつなぐ本章は、指導者サムエルの絶頂期であります。そしてこのサムエルが士師であった、と思い出させてくれる章でもあります。



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