第0275日目 〈サムエル記上第8章:〈民、王を求める〉〉 [サムエル記・上]

 サムエル記上第8章です。

 サム上8:1-22〈民、王を求める〉
 年老いたサムエルは二人の息子に跡を継がせて士師とした。しかし息子たちは不正と賄賂に執した。イスラエルの長老たちはサムエルに訴えた、士師を廃して(他国同様)王を立てよ、と。
 サムエルの目には王制が悪と映った。そこで主に祈ると、主は、長老たちの声に従うがよい、と答えた。彼らはあなたサムエルを退けたのではなく、わたし主を退けたのだ、と。
 「いまは彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」(サム上8:9)
 サムエルは主の言葉を承けて、王を求める民に王を立てると約束した。続いて、王の権能を6つに分けて説明し(サム上8:11-17)、最後に警告を与えた。
 「あなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてくださらない。」(サム上8:17-18)
 これを聞いて民は、それでもいい、といった。我々にはどうしても王が必要なのだ、と。「我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。」(サム上8:20)
 サムエルは主の言葉のままに民の言葉に従い、彼らを家に帰らせた。

 士師の時代は、本章で終焉を迎えました。次章から、王(サウル)が選ばれてサムエルに油を注がれ、やがて中央集権国家が樹立してゆく様が描かれてゆきます。まさに歴史時代の開幕といってよいでしょう。
 王制は是か非か? 主は自分以外の偶像を望みません。王が立てられることにも否であるのは、上のノートをお読みいただければ了解できるでしょう。にもかかわらず、王制を是としたのは、なぜなのか? 他国のように、と均質化を望むイスラエルへの失望なのかもしれません。イスラエルは選ばれた民━━そんなアイデンティティは、出エジプトを経験して荒れ野を彷徨った、主の御力をまざまざと味わった世代が退場した時点で、イスラエルからは消え失せてしまったのかもしれません。ゆえに士師記に顕著であったような主への平然とした背反も起こり、他国同様の制度を堂々と求めることができたのかもしれないな、と思う次第であります。
 それにしても、久々に民と主の間に不穏な空気が立ちこめました。これまでと違って思えるのは、主が諦念を覚えたのか、それとも、度重なる背反行為に堪忍袋の緒が切れて、民を見離したのか。それは、今後を読めばわかると思います。



 久遠に忘れ得ぬ日が今年もやってきた……。◆

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