第0277日目 〈サムエル記上第10章:〈サウル、油を注がれて王となる〉2/2〉 [サムエル記・上]

 サムエル記上第10章です。

 サム上10:1-27〈サウル、油を注がれて王となる〉2/2
 ラマ/ツフの町外れでサウルの従者を先に行かせたサムエル。サムエルはその場でサウルへ油を注いで聖別した。
 「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。」(サム上10:1)
 主によって心が新たになったサウルは帰路に就いた。途中、ペリシテ陣の守備隊がいるギブア・エロヒムで、彼は預言者の一団に会った。一団がたちまち預言状態になると、サウルも感化されて預言状態に陥った。主の霊がサウルに降(くだ)り来たったのである。
 それを、サウルを知る者たちが目撃した。キシュの息子も預言者の仲間であったのか、とその者たちは畏れた。
 ━━それから。
 サムエルは民をミツパに集めた。
 「イスラエルの神、主は仰せになる。『イスラエルをエジプトから導き上ったのはわたしだ。わたしがあなたをエジプトの手から救い出し、あなたたちを圧迫するすべての王国からも救い出した』と。しかし、あなたたちは今日、あらゆる災難や苦難からあなたたちを救われたあなたたちの神を退け、『我らの上に王を立ててください』と主に願っている。よろしい、部族ごとに、氏族ごとに主の御前に出なさい。」(サム上10:18-19)
 王の選別は部族ごと、氏族ごとにくじ引きで行われていった。しかし、どうあってもサウルへ到るようされていたのだろう、くじはそのように引かれ、候補者は篩(ふるい)にかけられていった。そうしてサウルが最後に残った。
 選ばれたサウルは荷物の間に隠れていたけれど、導かれて民のなかに立った。彼は一際背が高かった。
 サムエルは告げた、この者こそ主の選んだ王である、と。
 民は歓呼した、王様万歳! と。
 王の権能がサウルに語られ、それを書に記して主の御前に収めた。サムエルは民をそれぞれの家に帰した。
 勇士はサウルのあとについて、ギブアにくだっていった。彼を侮る者もいたが、サウルはなにもいわなかった。
 イスラエルに初の王が誕生した。

 王が誕生した。
 主は民を救うことに半ば諦念を禁じ得ず、民の王を求める声に便乗してサムエルにそうするよう告げた。
 サムエルは自らの職能を廃棄するに等しい王制=中央集権の誕生に抵抗を覚え、それでも主の命令だから逆らうこともできずしぶしぶ従った。
 サウルはとまどいを隠せず荷物の間に隠れてやり過ごそうとしたが、結局集まる民のなかに引き出されて王として立つことを余儀なくされた。
 そうして、民は単純に喜んだ。
 第9章と第10章の背景を単純に申せば、以上のようになると思います。
 正直、サムエルはかなり投げ遣りになっています。

 ノートには反映させませんでしたが、サム上10:2に登場する固有名詞の補注です。
 ○サム上10:2「ベニヤミン領のツェルツァにあるラケルの墓」
 →ツェルツァの位置は未詳。ラケルの墓は創35:19「エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに」ある。但し、サム上10:2とエレミヤ記第31章第15節に於いてはラマ/ツフにそれはある、と伝える。なお、ラケルはヤコブが妻とした姉妹の妹でヨセフの母(創29,30etc)。
 なお、サウルのロバ探しとサムエルを別れて以後の道筋は、岩波Ⅴ『サムエル記』P50に地図が掲げられております。



 得たものは失ったものよりも多くあるべきなのかもしれない。が、当方はそれに与さぬ者。得たものを〈1〉とすれば失ったものは〈100〉となろう。あの女性(ひと)がいれば比率は大いに逆転するやもしれぬ。それが叶わぬ希望であってほしくはないのだけれど━━。
 出会って恋してもう1年以上になる。いまでもあの人の顔もあの人が言ってくれた言葉も、折々の言動・動作も覚えている。意外かもしれないが、あんがい記憶力はよいのである。大きく息をついて、頭を垂らせば嘆きの言葉しか出てこない。前に進め。
 経験浅き者が集うKには呵々大笑する輩がある。それでも良い。大笑する向きに裁きを。嘆く我に死を。
 回想終わり、再進開始。道の果ての開拓地まで停まらず歩き続けよう。
 ブルックナーの交響曲第8番を聴く。今宵はチェリビダッケ。◆

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