第0313日目 〈サムエル記下第1章:〈ダビデ、サウルの死を知る〉&〈哀悼の歌「弓」〉〉 [サムエル記・下]

 サムエル記下第1章です。

 サム下1:1-16〈ダビデ、サウルの死を知る〉
 ダビデがアマレク人追討から帰還して3日目、ツィクラグの町に一人の男が服喪の装い(「衣服は裂け、頭に土をかぶっていた。」サム下1:2)をしてやって来た。
 男はギルボア山の戦場にいてイスラエル陣営から逃れてきたのだった。男はダビデにサウルとその息子たちの戦士を告げた。続けて男はこういった、━━
 「(ギルボア山にて王はわたしを呼び)『そばに来てとどめを刺してくれ。痙攣が起こったが死にきれない』と言われました。そこでおそばに行って、とどめを刺しました。倒れてしまわれ、もはや生き延びることはできまいと思ったからです。」(サム下1:9-10)
 それを聞いたダビデと彼と共にいた者は自分の衣を摑んで引き裂いて、哀悼の意を示した。それからその日の夕方まで断食した。初代イスラエル王サウルとその息子ヨナタンたち、そして命を墜とした主の民イスラエルの同胞を悼んでのことである。
 ところで、サウル戦死の報をもたらした男はアマレク人であった(よりによって!)。彼はイスラエルのなかに寄留するアマレク人であった。アマレク人追討から戻ったばかりのダビデは、男にいった、━━
 「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か。」(サム下1:14)
 ダビデは従者にこのアマレク人を打ち殺させた。ダビデはいった、━━
 「お前の流した血はお前の頭(かしら)に返る。お前自身の口が、『わたしは主が油を注がれた方を殺した』と証言したのだから。」(サム下1:16)

 ギルボア山から逃れてきたアマレク人の男は、忌憚なくいって愚鈍の者、愚か者でした。得られると算段した報酬のため、サウル戦死の場面を脚色してダビデに報告したのです。
 主が油を注いだ者は神聖にして犯すべからざる、我が国風にいうなら現人神に等しい存在。ゆえに何人(なんぴと)たりともこれを殺めることは許されない。それができるのは主のみである。
 この絶対原則を犯したアマレク人に死が宣告されたのは当然のことでありました。と同時に、ダビデにサウル殺害や謀反の意志が全くなかったことも、本章ではっきり読者に告げられたのであります。


 サム下1:17-27〈哀悼の歌「弓」〉
 「ダビデはサウルとその子ヨナタンを悼む歌を詠み、『弓』と題して、ユダの人々に教えるよう命じた。この詩は『ヤシャルの書』に収められている。」(サム下1:17-18)

  哀歌《弓》
 ~ (前略)
  ギルボアの山々よ、いけにえを求めた野よ
  お前たちの上には露も結ぶな、雨も降るな。
  勇姿らの盾がそこに見捨てられ、
  サウルの盾が油も塗られずに見捨てられている。(サム下1:21)
  (中略)
  サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人
  鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。
  命ある時も死に臨んでも
    二人が離れることはなかった。(サム下1:23)
   (中略)
  ヨナタンはイスラエルの高い丘で刺し殺された。
  あなたを思ってわたしは悲しむ
  兄弟ヨナタンよ、まことの喜び
  女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。(サム下1:25-26)
   (後略) ~

 ここにサウルの治世は終わり、まず南王国ユダの王としてのダビデの治世が始まる。

 『ヤシャルの書』はヨシュ10:13に既出の書物。古代イスラエルの詩歌集で、聖書編纂の典拠の一つと考えられています。
 ヨナタンは父に反逆したと烙印を押されたダビデを深く愛し、彼に従う姿勢さえ見せました(サム上23:17)。その一方で、王に背くことなく最後の最後まで父サウルに忠誠を尽くした武人。まこと、男としてあっぱれな人物であった、とさんさんかは思うのであります。



 母校敗退っ! うーん、残念。でも良くやった。
 あなた方らしい、明るい野球を堪能させてもらいました。その笑顔を忘れないで!◆

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