第0320日目 〈サムエル記下第7章:〈ナタンの預言〉&〈ダビデ王の祈り〉〉 [サムエル記・下]
サムエル記下第7章です。
サム下7:1-17〈ナタンの預言〉
ダビデはレバノン杉で造営された王宮に住んだ。が、神の箱は天幕のなかに安置されたままだった。王はこれを不安に思い、預言者ナタンに相談した。
その夜、主がナタンに臨んだ。わたしの僕ダビデにこう告げよ、と主はいった。出エジプトから今日に至るまで、わたしはずっと天幕、即ち幕屋を住処としてきた、と。その間イスラエルの誰彼に、わたしのためにレバノン杉の家を建てよ、と命じたことがあっただろうか、と。
続けて主はこういった、━━
「あなたがどこにいようとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとくたち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。(中略)主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」(サム下7:9,11-13)
ナタンは主の言葉をダビデに伝えた。
サム下7:18-29〈ダビデ王の祈り〉
主の御前に進んでダビデは祈った。
「主なる神よ、あなたは僕を認めてくださいました。御言葉のゆえに、御心のままに、このように大きな御業をことごとく行い、僕に知らせてくださいました。」(サム下7:20-21)
この地上にイスラエルのような民はなく、エジプトやアンモン他のような異邦の民とその神々から贖ってくださいました、と。
その皆がとこしえに唱えられ、あがめられますように、と。
「主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。どうかいま、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。」(サム下7:28-29)
第7章は前半に主によるダビデ王家の安泰と王国の永続を約束し、後半に主が約束した安泰と永続に対するダビデ王の感謝の祈り、という構造を持ちます。
このあたりの忠実と信仰が、サウルとダビデの決定的な差といえましょう。
読書の面白さ、いい換えればフィクションの面白さを教えてくれたのは、偶然から手にしたSF小説(※)でした。やがてフィル・ディックとティプトリーJrに辿り着いて、これにとどめを刺されたのは、十代も終わりに近い頃。その後はSFから離れて、様々な小説を読み散らかしてきました。
「人間の細胞は7年ですべて入れ替わる」とウィアード・テイルズ日本語版に掲載された誰だかのエッセイで知ったことですが、その伝でゆくなら自分はいま3倍の年数を経て、SF小説へ戻ってきた勘定になります。取っ掛かりはやはり偶然から古本屋で手にしたジェイムズ・ティプトリーJr。エルロイの犯罪小説を読む傍らで、本当にひっさしぶりに『愛はさだめ、さだめは死』(ハヤカワ文庫SF)を読んでいます。
ああ、これ。この感覚。言語に尽くしがたいこの感覚。フランス語でしかいえないこの感覚……じゃぁないけれど、……なんだかふるさとに戻ってきたような、妙ちくりんな感覚。かといってハードなSFに馴染めるかというと、これはどうやら脳みその出来がどうにもよろしくないようで、……いやはやなんとも、な幕引きの言葉でありました。◆
サム下7:1-17〈ナタンの預言〉
ダビデはレバノン杉で造営された王宮に住んだ。が、神の箱は天幕のなかに安置されたままだった。王はこれを不安に思い、預言者ナタンに相談した。
その夜、主がナタンに臨んだ。わたしの僕ダビデにこう告げよ、と主はいった。出エジプトから今日に至るまで、わたしはずっと天幕、即ち幕屋を住処としてきた、と。その間イスラエルの誰彼に、わたしのためにレバノン杉の家を建てよ、と命じたことがあっただろうか、と。
続けて主はこういった、━━
「あなたがどこにいようとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとくたち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。(中略)主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」(サム下7:9,11-13)
ナタンは主の言葉をダビデに伝えた。
サム下7:18-29〈ダビデ王の祈り〉
主の御前に進んでダビデは祈った。
「主なる神よ、あなたは僕を認めてくださいました。御言葉のゆえに、御心のままに、このように大きな御業をことごとく行い、僕に知らせてくださいました。」(サム下7:20-21)
この地上にイスラエルのような民はなく、エジプトやアンモン他のような異邦の民とその神々から贖ってくださいました、と。
その皆がとこしえに唱えられ、あがめられますように、と。
「主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。どうかいま、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。」(サム下7:28-29)
第7章は前半に主によるダビデ王家の安泰と王国の永続を約束し、後半に主が約束した安泰と永続に対するダビデ王の感謝の祈り、という構造を持ちます。
このあたりの忠実と信仰が、サウルとダビデの決定的な差といえましょう。
読書の面白さ、いい換えればフィクションの面白さを教えてくれたのは、偶然から手にしたSF小説(※)でした。やがてフィル・ディックとティプトリーJrに辿り着いて、これにとどめを刺されたのは、十代も終わりに近い頃。その後はSFから離れて、様々な小説を読み散らかしてきました。
「人間の細胞は7年ですべて入れ替わる」とウィアード・テイルズ日本語版に掲載された誰だかのエッセイで知ったことですが、その伝でゆくなら自分はいま3倍の年数を経て、SF小説へ戻ってきた勘定になります。取っ掛かりはやはり偶然から古本屋で手にしたジェイムズ・ティプトリーJr。エルロイの犯罪小説を読む傍らで、本当にひっさしぶりに『愛はさだめ、さだめは死』(ハヤカワ文庫SF)を読んでいます。
ああ、これ。この感覚。言語に尽くしがたいこの感覚。フランス語でしかいえないこの感覚……じゃぁないけれど、……なんだかふるさとに戻ってきたような、妙ちくりんな感覚。かといってハードなSFに馴染めるかというと、これはどうやら脳みその出来がどうにもよろしくないようで、……いやはやなんとも、な幕引きの言葉でありました。◆
タグ:聖書 サムエル記下