第0339日目 〈サムエル記下第21章:〈飢饉とサウルの子孫〉&〈対ペリシテ戦における武勲〉〉 [サムエル記・下]

 サムエル記下第21章です。

 サム下21:1-14〈飢饉とサウルの子孫〉
 ダビデ王の御代、飢饉が3年続いた。王は主に託宣を求めた。主はかつてサウルがギブオン人を殺害し、大地に血を流したのが原因である、と告げた。旧約本文にはこうある、━━
 「ギブオン人はアモリ人の生き残りで、イスラエルに属する者ではないが、イスラエルの人々とは誓約を交わしていた。ところがサウルは、イスラエルとユダの人々への熱情のあまり、ギブオン人を討とうとしたことがあった。」(サム下21:2)
 確かにイスラエルとギブオンは誓約を交わした、これはヨシュ9:15-21(〈ギブオンの服従〉)にある。が、サウル王がギブオンを討とうとしたなる記述はどこにもない。歴史の陰に埋もれた事実だったのかもしれない。
 さて。ダビデ王はギブオン人を招いて訊ねた、どのように償えば主の嗣業を祝福してもらえるだろうか、と。
 ギブオン人は答えた。「わたしたちを滅ぼし尽くし、わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、あの男の子孫の中から七人をわたしたちに渡してください。わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします。」(サム下21:5-7)
 王はそれに同意した。サウルの子孫のなかからギブオン人に引き渡されたのは、次の7人である、━━
 ・サウル王とその側女リツパ(アヤの娘)の間に生まれた、①アルモニと②メフィボシェト(ヨナタンの息子とは別人)
 ・サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライ(サム下17,19のバルジライとは別人)の③5人の息子
 「王はサウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを惜しんだ。ダビデとサウルの子ヨナタンとの間には主をさして立てた誓いがあったからである。」(サム下21:7) ゆえにダビデはこのメフィボシェトを、ギブオンに引き渡さなかった。
 ━━サウルの子孫7人は一度に処刑された。リツパは遺骸の上に粗布を掛け、昼は空の鳥から、夜は野の獣からそれを守った。その様子はダビデ王に報告された。
 王はギレアドのヤベシュの町へ赴き、その地に埋葬されていたサウルとヨナタンの遺骨を、町の人々から受け取った。それは、ギブアにて処刑された7人の遺骨と共に、ベニヤミンの地ツェラにあるサウルの父キシュの墓に改めて埋葬された。ここに、サウル一族の者が一つ所に収まった。
 「人々は王の命令をすべて果たした。この後、神はこの国の祈りに答えられた。」(サム下21:14)

 サム下21:15-22〈対ペリシテ戦における武勲〉
 ペリシテ人とイスラエルの間に、何度目かの戦いが起こった。ダビデ王も出陣したが、疲労していた。家臣らは王に、イスラエルの灯を消さぬためにも、もう戦場には出ない、と誓わせた。
 ラファ━━カナン先住民で、創15:20や申2:21に登場した巨人レファイム人の始祖(岩波『サムエル記』P272脚注より)━━の子孫イシェビ・ベノブは、ダビデ王と将軍アビシャイによって倒された。
 ラファの子孫の一人サフは、フシャ人シベカイによって打ち殺された。
 ガト人ゴリアトは、ベツレヘム出身のヤアレ・オルギムの子エルナハンによって打ち殺された(ダビデの武勲を否定する記述であるのに注意。ex:サム上17)。
 ラファの子孫で両手足の指が6本ずつある巨人は、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンによって討ち取られた。



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