第0365日目 〈亡き師を偲ぶパヴァーヌ:ムシュゥ・ルサンチマンの頌歌〉 [日々の思い・独り言]

 片附けしていたら懐かしいエッセイを発掘しました。今日はそれをお目にかけたいと思います。

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 梅雨になる前に蔵書の総点検を思い立ち、曝書がてら漫然と頁を拾っているうち、上田秋成が師・加藤宇万伎の追善で書いた文章を見つけた。久々に狷介無腸翁の雅文へ酔いしれていたら、思わず息を呑みカレンダーへ視線が向くのを制止できなかった。
 もうすぐ七夕がやってくる。今年は晴れるだろうか。この十年近くというもの、七夕が近附くとこんな心配をする。世間が天の川のロマンスに浮かれているのを横目で眺め、この日ばかりは一人静かに坐して亡き師を偲びたい、と思うのが恒例になっているのだ。
 幾年か前、「この人がいなかったら、いまの自分はいなかった」というテーマで競作エッセイに参加したが、おそらく亡き師こそこの題で一文を草すに相応しい存在であった。必要な時代に必要な人間と出会うこと、それを誠と思わしめるなによりも強き存在は、わたくしにとって、遂に相見えることのなかった京都の隠士、生田耕作先生を除いて他にない。

 その筋の玄人にはよく知られたフランス文学者、生田耕作は大正13(1924)年7月7日、京都市に生まれた。早くから英米の小説を原語で読み飛ばして外国語の才を見せ、兵役より戻っては京都大学へ進んでフランス文学を専攻し、アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・バタイユ、L-F.セリーヌ、A.P.ド・マンディアルグ、諸々20世紀フランス文学の〈異端文学〉を精力的に翻訳・紹介、澁澤龍彦と並ぶ文学の審判官と称されるも、自身の編集した『バイロス画集』が猥褻図画の容疑で摘発されると同時にかねてからの軋轢が表面化して京都大学教授の職を辞す。
 以後はプライヴェート・プレス奢覇都館(サバト-ヤカタ。さんさんか注す、「覇」の字、正式には「さんずい」を部首とするも変換不可のため暫定的にこの字を宛てる。なお、以後同書肆刊行書については一々の表記を省く)を興して前述の作家たちの著作を中心とした書目を刊行、良識と智見に長けた少数の読書家・文学愛好家の渇望を癒した。晩年は江戸漢詩に淫して風雅の世界に遊び、鴨川改修計画に毅然たる「否(ノン)」を叩きつけ、静謐とは言い難くも充足した生活を営み、平成6(1994)年10月21日、永眠される。━━生田先生の生涯を簡述すればこんな感じだろうか。

 フランス文学者としての業績の専らは20世紀、殊にブルトンを中心とした主軸としたシュルレアリスム系の文学・思想に集中した。20代の前半に出合ったブルトンの著作より受けた啓示から、これまでの人生に対して自覚的清算と再出発を促された、と先生は語る。シュルレアリスム系の作家たちの紹介、ブルトンの著作群の紹介は、必然ともいうべき作業だったのだ。生田耕作なくして今日日本語で読めるこの分野の作品はどれだけのものであったか、と想像すると背筋が寒くなる。
 この分野に於ける最高の訳業として、わたくしはブルトンの『超現実主義宣言』(中公文庫)、バタイユの『眼球譚』『マダム・エドワルダ』(角川文庫)、セリーヌの『夜の果てへの旅』(上下・中公文庫)、マンディアルグの『熾火』(白水社 白水uブックス)が挙げられよう。いずれも翻訳の奥の院に達した、まさしく〈神品〉と讃える他ない彫心鏤骨の翻訳である。また、生田先生の著書から最良の副読本として『黒い文学館』(中公文庫)と『超現実主義の方向へ』をお奨めしたい。
 一方に於いて、生田先生は日本文学への造詣も深くていらした。まとまった著書は殆どなく収められた文章の数も決して多くないのが不満だけれど、鑑賞者としての先生の眼力は一流の域に達していた。批評となれば小首を傾げてしまう部分なきにしもあらずだが、これらが最上の文学鑑賞への誘いになっているのは疑うべくもない。
 先生偏愛の近代作家となれば泉鏡花、近松秋江、十一谷義三郎と何人か思い浮かぶが、最も耽溺されたのは永井荷風であったろう。荷風文学の世界は先生の逃れ行った世界であり、荷風の性質が自らのそれにぴたりと重なり合う点を見出したからこその偏愛、耽読であった。先生の鏡花本収集に賭けた熱意とコレクションの質の高さは広く知られるところだが、荷風本の蒐集についてはどうだったのだろうか。書斎の写真に見える書棚には、荷風にまつわるずいぶんと貴重な書名が散見される。
 嗚呼、誰か手遅れにならぬうちに、『生田耕作近架蔵・代文学コレクション』とでも題した蔵書目録を作ってくださらぬものか。願わくば、鏡花秋江荷風に係る未完の随想の刊行と一緒に。……生田先生の近代文学絡みの文章を収めた著書に、『文人を偲ぶ』と『鏡花本今昔』がある。

 たぶんわたくしが生田先生に私淑してやまなかったのは━━国文学への造詣云々より以前から敬愛の念を抱いていたのは、学識の深さとかそういうものよりもっと皮膚感覚的なもの、そう、〈同臭の士〉と感じ取ったことにある。初めて著書へ触れたのは多分に意図あってのことだが、惚れこんでいったのはそんな、言葉で表現するのが困難な理由によるのだ。その念、やがて崇拝へと変わっていったが、なにも先生お一人より影響を被ったわけではないから狂信というレベルには達していない。それでも著書や縁ある人々の文章を読んで、先生の思考を知りルサンチマンに圧倒され、いわば精神面でさまざま鍛え直された部分もある。先生がブルトンとの邂逅を経て自覚的清算と再出発を促されたのと同様に。
 現代社会と現代の文学について底なしの慨嘆を洩らした著述家も、そう多くないのではないか。文運遥か昔に去った現代の瓦礫文化を、生田先生は「末世の相を呈している」と冷評し、「あたりまえのことを口にすることが、牢獄に、処刑台に通ずる、けっこうな民主主義の御代に、私たちは生きているのだろうか」と嗟嘆する。
 わたくしにも経験がある。子飼いの、親しうする作家の作品の質の低下を伝えれば、「そんなことあるはずがありません」と一言を以て回答し、挙げ句にそれを根に持ち干そうと画策した編集者に未だ泣かされ、「おもしろくないものはつまらない、わからないものはつまらない」と一蹴して感受性と理解力の器を広げるのを怠り、自ら想像力の限界を設定してなんら恥じと思わぬ読者に絶望し、文章へろくすっぽ注意を払わず、〆切り前のやっつけ仕事か、満足に推敲されていない〈小説〉と称すシロモノをでっちあげて臆面もなく公開して根拠なき自尊心に鼻を高くし悦に入っている自称・作家の無能ぶりに唖然とし、世の軽佻浮薄ぶりを目の当たりにさせられては、もはや「やんぬるかな」と呟くよりない。そんな連衆を多く見て吐き気と嘲笑をこらえられずにいるわたくしにとっても、やはり現代文学を取り巻く環境のなかでは住みづらく、作品を書いても発表の舞台はとても限られてくる。おまけに同じ旧財閥系でありながら商社の方(かた)はのうのうと意味不明の散文らしきものを書いておられる始末。真に理解ある編集者に会うのは畢竟稀で、得られる読者の数もさして自慢する程ではない。結局━━自身を偽り、大衆の好みに苦も恥もなく簡単に迎合できる芸当を持ち合わせるせせこましい才覚の持ち主が圧倒的に幅を利かす世界に身を安んじ得る作家サンたちには、なんとまぁ独り善がりと罵られようけれど━━、サロンのメンバーと旧宮家の歌壇、そして極めて少数の理解者を頼みとして、創作を続けてゆくより他ないのだろうか。
 〈生前の謗り、死後の誉れ〉、それも一興、我が望むはそれ。こんな人物があの世界に一人や二人、身を置いて居るのも楽しかろう、と思うている。斯くの如き現代の文芸風潮に溶けこめぬ生来のルサンチマンが、おそらくわたくしをして生田先生に巡り会わせたに相違あるまい。先生も仰っているように、「すでにデカダンのきざしであることはむろん自ずから承知している」。□(2003年06月稿)

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 一部削除の上、ここにお披露目します。削除の理由は、単に長くなるから。江戸漢詩についての箇所が主な削除部分です。
 数年ぶりに読み直すと、いやはや若干ながらも現在(いま)は丸くなったことであるな、との感がございますよ。はい。◆

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