第0471日目 〈歴代誌上第19章:〈アンモン、アラムとの戦い〉1/2〉 [歴代誌・上]

 歴代誌上第19章です。

 代上19:1-19〈アンモン、アラムとの戦い〉1/2
 アンモン人の王ナハシュがみまかり、その子ハヌンが新しい王となった。忠実な関係にあったナハシュ弔問の使節団が、イスラエルから派遣された。が、家臣の言葉を鵜呑みにしたハヌンにより、使節団は辱めを受けて追い返された。
 やがて彼らはダビデの怒りを買ったのに気附いた。ハヌン王はアラム・ナハライムとアラム・マアカ、ツォバに援助を求め、アンモン人と共に連合軍を構成し、対イスラエルの準備を進めて、メデバの町(※1)の前に陣を敷いた。
 一方イスラエルからは、軍司令官ヨアブに率いられた軍が出発し、アンモンとアラムが待ち受けるメデバへ進軍した。
 ヨアブは相手の戦線を研究し、兵を選び、兄弟アブシャイと連携して敵陣へ迫った。━━と、突然アンモンとアラムの軍は隊列を乱して、ヨアブとアブシャイの前から逃げ出し、そのまま敗走した。
 しかし、アラムはなおもイスラエルと戦う意志を見せた。ユーフラテス川の向こうにいたアラム軍を動員したのである。が、ヨルダン川を渡ったところで戦列を整えて待ち構えていたイスラエル軍に攻撃され、敗北した。
 アラム人はダビデに隷属し、二度とアンモン人を助けようとしなかった。

 ※1「メデバの町」→メデバは、ラバ(現在のヨルダン・ハシミテ共和国の首都アンマンの、当時の名称)の南約32キロに位置する町。現在のジザあたりか。ラバ(アンマン)の約50キロ西方にはヨルダン川が滔々と流れ、アラムとイスラエルの戦場になるのも頷ける地理である。
 また、代上19:16でアラムがユーフラテス川の向こうのアラム人の軍を動かした、とあるが、そうなると(動員を受けた)アラム軍は遙々シリア砂漠を横断して駆けつけたことになる。常からの水や食糧の確保が成されていないと、幾ら同胞からの依頼とはいえすぐに動けるものではない。逆にいえば、それだけ砂漠地帯での移動が日常的にあった人々だった、といえるのかもしれない。

 それにしても二度と助けようとしなかったなんて、アラムも懲りちゃったんですね。



 近頃よく聴くのはプロコフィエフ。小澤とBPOで第5番を聴いている。前から気になっていた作曲家でしたが、ようやく機が熟した、というところでしょうか。
 小澤のドイツ物はフンドシがゆるくて好きになれぬが(ブラームスとか!)、近代ロシア音楽となれば冴え渡ったセンスを発揮する。ストラヴィンスキーも良かったなぁ。◆

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