第0533日目 〈歴代誌下第35章2/2:〈ユダの王ヨシヤ〉3/3〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第35章2/2です。
 並行箇所は王下23:29-30〈ユダの王ヨシヤ〉、エズ・ギ1:23-31〈ヨシヤの死〉。

 代下35:2-27〈ユダの王ヨシヤ〉3/3
 この過越祭があって後の時代、エジプトの王(ファラオ)ネコが自分の軍を率いて北上してきた。ユーフラテス川近郊の町カルケミシュを陥落させるためである。ヨシヤ王はこれを迎撃するために討って出た。王ネコは使者を出して、ユダの王に斯くいった、━━
 「今日攻めて来たのはあなたに対してではなく、わたしが敵とする家に対してである。神はわたしに急ぐようにと命じられた。わたしと共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる。」(代下35:21)
 が、ヨシヤはこれに耳を傾けなかった。
 イズレエル平野を望むメギドの丘で双方は激突した。ヨシヤは敵の弓兵の放った矢によって倒れ、戦場を離脱した。王都エルサレムでヨシヤは息を引き取り(並行箇所ではメギドその地にて死亡した。ex;王下23:29)、先祖の墓に埋葬された。
 ユダとエルサレムの住人はヨシヤ王の死を嘆いた。
 「エレミヤはヨシヤを悼んで哀歌を作った。男女のすべての歌い手がその哀歌によってヨシヤを語り伝えるようになり、今日に至っている。それがイスラエルの定めとなり、歌は『哀歌』に記されている。」(代下35:25)
 ━━ヨシヤの事績、主の律法に忠実に従った行為の数々は、『イスラエルとユダの列王の書』に記されている。

 ファラオ・ネコに立ち向かうヨシヤの出陣を支えたのは、自国の領内を素通りされては面子が立たん、という思いであったでしょう。これには実に納得ゆくものがあります。それが仮に先祖の神、主がお膳立てした状況であったとしても、です。
 我ら日本人はこれとよく似たエピソードを知っています。元亀3(1572)年、上洛する武田信玄の軍勢を三方原で迎え撃って敗北した徳川家康のエピソードです。このあと家康は這々の体で浜松城に逃げ帰ったが、大きく開け放たれて篝火が焚かれた城門を見て武田軍が攻撃を諦めて上洛を再開しました。蓋し家康の大物ぶりが窺い知れますが、この家康といいヨシヤといい、洋の東西・古今の違いはあれども国を預かる者、これぐらいの専守防衛の意識がなくてはならぬということでありましょう。
 メギド平野はこれまでにも旧約聖書に何度か登場しましたが、交通と軍事上の要衝であったためにたびたび戦場となった所です。
 「ヨハネの黙示録」には汚れた者、即ち悪魔(サタン)が神との最終決戦に臨み全世界の王を集める場所として、<ハルマゲドン>つまりヘブライ語でいう「メギドの丘」が選ばれます。ハルマゲドンとは古戦場であったメギドの丘のギリシア語です。

 エレミヤがヨシヤを悼む哀歌を作り、それは『哀歌』に収められている━━歴代誌はそう記します。
 現在旧約聖書に収められる『哀歌』と同一視してよいものやら、キリスト者でもなくただ漫然と、亡き婚約者の思い出に促されて聖書を読んでいるだけの我が身には、よくわからず意見と申すべきものさえ持てずにいる、というのが正直なところであります。
 まあ、実際に『哀歌』を読む頃にはもう少しまともな意見を持てるであろう、とは楽観視しておりますけれど。
 旧約聖書所収の『哀歌』は、預言者エレミヤを著者と伝えてきたがゆえ、伝統的に『エレミヤの哀歌』と称されてきました。が、今日ではエレミヤ著者説を採る人は殆どいないそうであります。



 先日からAXNにて放送中の『CSI:マイアミ』新シーズンCM。
 「ホレイショ劇場の幕があがる」……って、あーあ、遂に言っちゃったよ、と思った方、どれだけいるんでしょうねぇ。
 いや、まさしくそうなんだけれどさ。トリップ役のレックス・リンも認めているし。◆

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