第0623日目 〈ヨブ記第2章:〈事の起こり〉2/2〉 [ヨブ記]

 ヨブ記第2章です。

 ヨブ2:1-13〈事の起こり〉2/2
 また或るとき、神の使いたちが神の前に集まった。そのなかに、サタンもいた。
 地上の彼方此方を彷徨ってきたサタンを、神はなじった。理由なく彼を破滅させようと私をそそのかしたが、見よ、未だ彼は無垢である。
 サタンは再び嘲り、その御手を伸ばしてヨブの骨と肉へ触れてみよ、たちまち彼は神を、面と向かって罵倒し呪うにちがいない、と告げた。
 神は首肯し、サタンにヨブを試させた。サタンはヨブに触れ、彼を重い皮膚病にかからせた。ヨブは灰のなかに坐り、素焼きの欠片で体中を掻きむしった。
 その様子を見て、ヨブの妻は嘆息した。それ程になったならば、いっそ神を呪って死んだ方がマシではないですか、と。
 ヨブは一喝した。我らは神から幸福を与えられたのだから、同様に苦しみ、不幸をも甘んじて受けようではないか、と。「このようになっても、彼は唇を持って罪を犯すことはしなかった。」(ヨブ2:10)

 さて、ヨブを見舞った災難について知った彼の友人、即ちテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの3人は相談して、ヨブのいるウツの地目指して出発した。すっかり姿の変わってしまった友を見て、彼らは言葉をなくし、哀しんだ。
 「彼らは七日七晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできなかった。」(ヨブ2:13)



 さんさんかは皮膚が弱い体質です。ちょっとした日焼けですぐに全身が火ぶくれのようになり高熱が7日ばかり続いたり、以前も、原因は未だ不明ですけれど(「空気感染かなぁ」とかいわれましたっけ)体中の肌が水ぶくれのようになり皮膚と肉の間を無数の虫が這いずり回っているような病気にかかったり、と、皮膚絡みのトラブルは話題に欠きません(もちろん十年に一遍とかそんな程度の頻度ですがね)。
 ですから、ここでヨブが苦しみ素焼きの欠片で体中を掻きむしってなお苦しむ様は、心から理解できます。こればかりは経験しないとわからぬ類のものである。自分よりひどい病気に苦しんだ(苦しんでいる)方がいた(いる)のは、百も承知で自分の述懐として書かせていただきました。いやぁ、本当にこのときって、「なぜ自分ばかりが?」と嘆きたくなるんですよね。このまま生が終わってしまえばよいのに、と考えたことだって、あります。でも、心のどこかでいつかこの苦しみもなくなり、以前のような生活に戻れるだろう、と願っているのですよね。
 そんなとき、友が見舞いに来てくれるのはとってもうれしい。先述した病気の際も、昔からの友達が仕事を早退して来てくれたり、北欧在住で偶々その時分仕事で帰国していた元カノが見舞ってくれたり、と、心細いときでもあったせいで、定家卿の言葉を借りれば「落涙ヲ禁ジ得ズ」というところでありましたでしょうか。ぼくはこのとき、苦しみはやがて去る、と信じました。幸い病気はひどくなることなく、快方に向かいました……。
 さりながらヨブの場合は、神とサタンが仕掛けた信仰の揺らぎを試す一種のゲーム━━なんだかダンセイニ卿の神話的ファンタジーを想起させますが(そういえば卿は欽定訳聖書を自分の文章の範とした方でした)━━。駒にされたヨブは以後、サタンの思惑通り神を呪う者へ変貌を遂げてゆき(かけ)ます。
 「ヨブ記」は<義人が裁きを受ける理不尽さ>と<信仰のあり方>を示すと共に、<人間の神への挑戦>というテーマが含まれているように思われてなりません。



 コーヒーとドーナツがあれば、しあわせ。もぐもぐ食べて、ちょびちょび飲んで、ぼんやりしたり、本を読んだり、お喋りしたり。なんだかパッヘルベルの《カノン》をエンドレスで聴いていたくなる午後。ああ、今日も何事もなく、健やかに過ごせて、本当によかった。
 因みに、昼休みはほぼ確実にコーヒーとドーナツで過ごしています(食べる店もいつも同じで、某所のスターバックスです)。同僚には「足りるの!?」と訊かれますが、余程のことがない限り、空腹で夜まで持たないなんてことはありません。まあ、帰り道に立ち寄る別のスタバでコーヒーお代わりした際、たまぁにエクレールプラリネやキーライムケーキ、ザッハトルテ食べるときはあるけれど、それは仕事がうまくいったとき限定の自分へのご褒美なので、別のお話。
 ━━でも、コーヒー&ドーナツで読むレイモンド・カーヴァーって、あのドライさがいつもよりマイルドな雰囲気になりますね。◆
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