第0624日目 〈ヨブ記第3章:〈ヨブの嘆き〉〉 [ヨブ記]

 ヨブ記第3章です

 ヨブ3:1-26〈ヨブの嘆き〉
 友の前でヨブは口を開いた。

 彼は自分の生まれた日を呪った。
 「なぜ、わたしは母の胎にいるうちに/死んでしまわなかったのか。/せめて、生まれてすぐ息絶えなかったのか。」(ヨブ3:11)
 「なぜわたしは葬り去られた流産の子/光を見ない子とならなかったのか。」(ヨブ3:16)

 彼は自分に突如襲いかかった不幸を嘆いた。
 「日ごとのパンのように嘆きがわたしに巡ってくる。/湧き出る水のようにわたしの呻きはとどまらない。/恐れていたことが起こった。/危惧していたことが襲いかかった。静けさも、安らぎも失い/憩うこともできず、わたしはわななく。」(ヨブ3:24-26)



 与えられた命を呪うとは何事か。それが、嘘偽りなきさんさんかの感想です。
 ヨブには、二重三重の苦しみと不幸が訪れた。呪い、嘆くのは、当然のことでありましょう。それは存分になされてよいと思います。我らには、ヨブと共に悲しみ、ヨブへ同情を寄せることができる。
 我が身に不幸が訪れたとき、人は誰しも「なぜ自分だけがこんな目に……」と思う。わたくしもそうでした。おそらく、皆さまもそうだと思います。
 が、嘆きはあくまで一時的な感情でしかない。如何にしてそれに呑みこまれず、自分を正しく持ち、不幸を克服するべきか。それを、わたくしたちはまず考えるべきです。机上の空論とか理想論とか言われもしましょうが、そんな外野の声は気にしません。経験した者ゆえの実感だからです。不幸や苦労を知る人は、自分を呪ったりはしないものです。



 ペルゴレージ《聖エミディウスのためのミサ曲》を聴く。再び、三度。そうして眠る。◆
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