第0625日目 〈ヨブ記第4章:〈ヨブと三人の友の議論 一〉1/11〉 [ヨブ記]

 ヨブ記第4章です。

 ヨブ4:1-21〈ヨブと三人の友の議論 一〉1/11
 友の一人、テマン人エリファズは斯く語りき、━━

 ヨブよ、あなたはこれまで多くの人を諭し、倒れる者に力を与えてきた。だのに自分の身に災いが降ると途端にくじけてしまう。
 思い出してほしい、友よ、「神を畏れる生き方が/あなたの頼みではなかったのか。/完全な道を歩むことが/あなたの希望ではなかったのか。」(ヨブ4:6)
 いまだかつて罪なき正しい者が滅びたことはない。災いと労苦は然るべき者の身の上にのみ降りかかるものだ。

 ヨブよ、友よ、わたしは夜の闇のなかから忍び寄るような声を聞いたことがある。その声はわたしにこういっていた、……
 「人が神より正しくありえようか。/(中略)(人は)塵の中に基を置く土の家に住む者。/しみに食い荒らされるように、崩れ去る。/日の出から日の入りまでに打ち砕かれ/心に留める者もないままに、永久に滅び去る」(ヨブ4:17,19-20)と。



 人を諭す者、人に力を与える者。そんな人程、外圧に屈しやすい場合があります。
 これまで自分は上の立場から言葉と力を与えてきた。指導者的立場、教師的立場にあった、といってよいかもしれません。それゆえに、彼は心の強い者だ、と思われ、慕われる。
 が、そんな者ほど、実は苦難や誘惑に弱いのかもしれない。自分の心に巣喰う<弱さ>から目を背けてきた部分は、決して否定できないと思います。
 ヨブも心の弱さを信仰の強さで支えてきた部分があるでしょう。それが、今回の神とサタンのゲームにより根本から揺るがされ、神を恨む者へと変貌を遂げんとしている。テマン人エリファズの言葉は、それを察して早いうちに信仰に戻れ、という助言であります。
 しかしながら、我ら人間は、ヨブの苦しみもエリファズの諫めも、生ある限り同じ肉体の内に抱えこんでしまっているのです。嗚呼……。



 ゆるゆる読み進めてきた太宰治『津軽』。昼休憩時のみの読書ということもあり、今日ようやくラスト30頁に突入。明日は休みで出掛けるので、そのときに読了できるかな……。
 「ヨブ記」が終わったらこれまでと同様、ここに感想をお披露目します(予定)。◆
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