第0633日目 〈ヨブ記第12章:〈ヨブと三人の友の議論 一〉9/11〉 [ヨブ記]

 ヨブ記第12章です。

 ヨブ12:1-25〈ヨブと三人の友の議論 一〉9/11
 ヨブは3人の友に答えた、━━

 エリファズよ、ビルダドよ、ツォファルよ。君たちの知恵は大したものだが、死んでしまえばどうということもない。君たちはその知恵を以て御力と御業を語る。が、人間の限られた知恵を以て神を語ることが許されるのだろうか。
 さあ、生きとし生けるもの、森羅万象なべてに問うてみよ。すると教えてくれるはずだ━━神の御手がすべてを造り、御手のなかに万物があることを。人間など、神にとって何ほどの存在だろうか。
 「神は暗黒の深い底をあらわにし/死の闇を光に引き出される。/国々を興し、また滅ぼし/国々を広げ、また限られる。/この地の民の頭たちを混乱に陥れ/道もなく茫漠としたさかい(境)をさまよわせられる。/光もなく、彼らは闇に手探りし/酔いしれたかのように、さまよう。」(ヨブ12:22-25)
 神はその者の行いに応じた報いを降す。



 人間がどれ程の存在というのか? 人間が限られた知恵で神を語るのが許されるのか?
 それはとても大きな問題であり、決して結論の出ない問題であります。何人も神の領域に近づくことはできない。ましてや世界を創世したその業やたゆまず人間に心を寄せてきたその知恵や心など、如何にして知ることができるでしょうか。
 でもこれは、あくまでユダヤの神、イスラエルの神にまつわるお話。日本のあちこちに坐す八百万の神々に於かれましては、もう少し敷居が低く、神と人の境ももっと近しいものであるように感じてなりません。自分たちの生活に神道が浸透しているからなのかな。
 最近必要があって『古事記』と『日本書紀』神代巻を読んでいたのですが、旧約聖書の神と無意識に比較すること度々で、思わず嘆息してしまいましたこと、ここに告白しておきます。



 区役所で用事を済ませたあと、某CDショップにてシューベルトとバッハのCDを購入。
 グールドのCDは10数枚持っていたが、或るときなにを思い迷ったか、(ヒンデミットとリヒャルト.S、シェーンベルクを除いて)軒並み処分してしまった。最近なんだかまた聴きたくなったので、今日はバッハ《ゴルドベルク変奏曲》(1981デジタル版)を購入。
 だけどシューベルトの《八重奏曲》(D.803,Op.166)って、晩年の作品なのに伸びやかで明快で可愛い曲ですね。これは小倉さんのこと思い出させない唯一の曲かも、ベートーヴェンの七重奏曲をそれ以前に否応なく想起させますから。でも愛しているんだ……。◆
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