第0755日目 〈詩編第063篇:〈神よ、あなたはわたしの神。〉〉 [詩編]

 詩編第63篇です。

 詩63:1-12〈神よ、あなたはわたしの神。〉
 題詞は「賛歌。ダビデの詩。ダビデはユダの荒れ野にいたとき。」

 詩63は、一種の<頌(オード)>である。神なる主を求め、満たされた心が自ずと吐露した頌歌。
 わが魂は荒れ野の如し、衰え、渇いている。主よ、あなたを捜し求めたからです。━━が、いまはこうして聖所であなたの御力と栄光を仰ぎ見て、わが魂は満ち足りました。「わたしの唇は喜びの歌をうたい/わたしの口は賛美の声をあげます。/床に就くときにも御名を唱え/あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。」(詩63:6-7)わたしはあなたの陰でわたしを支えてくださいます。
 題詞が示すとおり、ユダの荒れ野で敵と戦っている(と覚しき)時分のものであるから、第10-11節では敵対者が地から絶えるよう願う文言が含まれている。敵とは誰か? 一部では、それはアブサロムである、という。サム下17-18に於いて、ダビデ王はヨルダン川東岸ギレアド領のマナハイムに陣を置き、対アブサロムの最後の━━苦渋に満ちた━━戦いに臨んだ。その折に詠まれたのが件の詩、というわけである。
 ハーレイはいう、「(ダビデは)どのような場合にも祈り、感謝し、悔い改め、賛美して直接神へ向かった」(『新聖書ハンドブック』P233)と。詩63は、そんなダビデ王が残した(とされる)諸詩の中で、特に素直で凛とした詩のようにわたくしは思うのである。

 「あなたの慈しみは命にもまさる恵み/わたしの唇はあなたをほめたたえます。/命のある限り、あなたをたたえ/手を高く上げ、御名によって祈ります。/わたしの魂は満ち足りました/乳と髄のもてなしを受けたように。」(詩63:4-6)



 録画しておいた映画『ナルニア国物語:第2章 カスピアン王子の角笛』を観ました(movie plus)。前作「ライオンと魔女」同様、非常にしっかり作られた脚本と丁寧な演出で、なんでだか胸を撫で下ろしました。ディズニー、やれば出来るじゃん!
 『ナルニア』に関しては、C.S.ルイスの原作より映画の方がずっとオススメできるように思います。原作はどうにもストレートかつ教条的な面があることを否めず、特に『指輪物語』のあとに読むとその単調さが却って目立ちます。まあ、最終巻での驚天動地の結末には唖然としちゃいますがね。
 原作附き映画の場合はイメージの固定化という弊害を招くことがある。『ナルニア』とて例外ではない。だがその代わり、原作以上にキャラクターへ感情移入し、作品にのめり込むことが出来る。時間制限のある映画だからこそ、観客は魅力的なキャラクターと魅惑的なナルニアの世界に導かれて、いつの間にやらテルマール人とナルニア人の戦いに一喜一憂することが出来るようになるのだ。
 映画『ナルニア』は来年2011年2月に第3章が公開予定の由。◆

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