第0757日目 〈詩編第065篇:〈沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。〉withラム姉弟『シェイクスピア物語』を手引きに。〉 [詩編]

 詩編第65篇です。

 詩65:1-14〈沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。〉
 題詞は「指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。歌。」

 その長閑さに心がおだやかになる。詩65は、大地の恵み、森羅万象の営為を喜ぶ詩。これを読んでわたくしは、ハイドンのオラトリオ《四季》やベートーヴェンの交響曲第6番《田園》に聴かれる、神なる主の創造し給うた自然への畏敬の念と感謝の喜びを感ずるのだ。<敵>の存在を匂わせたり、命狙う衆の根絶を願うのとはまったく無縁の、珍しい詩といえよう。
 正直なところを申せば、仕事帰りの作業で斯様な詩と出会えるのは、非常にうれしい。心がほっ、とし、安堵するのだ。ちと俗な表現をすれば、心が洗われる気分がする。こういう、一寸毛色の変わった作品があるから、「詩編」を読むのは楽しいのだ。いうてみれば、スパイス的な作品、隠し味的な作品である。
 ところで、詩65は確かに自然への恵みを讃仰する詩なのだが、前半1/3(詩65:2-5)はややトーンが異なる。実は詩65の眼目はこの部分にある、というてよい。罪を犯して背いた者をも、あなたは贖いそばに置いてくださる。如何に幸いなことだろう。わたしはあなたに満願の献げ物をささげます、シオン(エルサレム/神殿)に坐す神なる主に。━━そうした祈りを承けて、前述した自然讃仰のパートへ移るのだ。ざっと読んだだけではつながりがよくないように思うかもしれないが、この点を読み誤ると、詩65のニュアンスはだいぶ違うものとなるのではないか。
 偉そうなことをいうた。ではそれがどういうことなのか、と問われるだろうから、引用を交えて以下のように述べておく。
 詩65の2/3を占める自然讃仰の根拠は、以下の詩句に求められよう。「わたしたちの救いの神よ/あなたの恐るべき御業が/わたしたちへのふさわしい答えでありますように。/遠い海、地の果てに至るまで/すべてのものがあなたに依り頼みます。」(詩65:6)つまり、自然を媒介として人間に恵みを与えてくれる主の御業が讃美されておるのだ。それが「お与えになる多くのしるしを見て/地の果てに住む民は畏れ敬い/朝と夕べの出で立つところには/喜びの歌が響きます。」(詩65:9)という表現を生むに至っている。この詩句、なかなか味わい深いと思いませんか?
 何度も何度も味わって、そのたび感銘を新たにしたい詩である。その牧歌的雰囲気から、一種の清涼飲料水的な役割を果たしてくれる詩でもある、というてよいだろう。

 「あなたは地に臨んで水を与え/豊かさを加えられます。/神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。/あなたがそのように地を備え/畝を潤し、土をならし/豊かな雨を注いで柔らかにし/芽生えたものを祝福してくださるからです。
 あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。/あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。/荒れ野の原にも滴り/どの丘も喜びを帯とし/牧場は羊の群れに装われ/谷は麦に覆われています。/ものみな歌い、喜びの叫びをあげています。」(詩65:10-14)



 明日(今日ですか)から横浜にてAPEC開催。喧しくなるなぁ。
 週末はドストエフスキーを読めないので━━理由はいろいろあるんだ━━、代わりにラム姉弟の『シェイクスピア物語』(松本恵子・訳 新潮文庫)を読んでいます。コンパクトに、しかも原作のエッセンスを少しも損なわずにこれだけのリライト作業が出来る、という点に驚嘆します。これまで読んだなかでは、「お気に召すまま」がよかったかな。
 原書で読んだことはありませんが、簡潔かつ平明な文章で綴られているんだろうなぁ。前書きに、シェイクスピアの原作に使われている言葉はなるたけそのまま使用した、という旨の文章があったと記憶しますが、流石に原書を繙き、シェイクスピアの原書も脇に置いてみないとわからないところですよね。どこかにその辺を手っ取り早く解説してくれた本はないものかしら。
 話を戻せば、この本以上にシェイクスピアへの手引きとなってくれる本はない。ラム姉弟の本でシェイクスピアを読む楽しみを知ったのは、さて、一体いつのことであったろうか。もっとも、この文庫に収められた作品以外のシェイクスピア作品へ手を伸ばすようになったのは、それからだいぶ先になりますが。
 この『シェイクスピア物語』、いまでは岩波文庫から上下巻で完訳が出ておりますから、これから読む人はそちらの方をお奨めします。新潮文庫版は、もう如何せんだいぶ前の翻訳なので日本語にちょっとガタが来ている。むろん良い訳なのですが、現代の読者向けとは申し難い文章であるのは、残念ながら事実であります。
 でも、このような良い本というのは、年齢など関係なしにいつでも感動と喜びを与えてくれるものですから、興味が出たら即買うなり借りるなりして自分のなかに取りこんでしまうのが最上の方法であると思います。出来れば、身銭を切ってこそ、自分の滋養になるはずなのですけれど、そこまでは特に要求しません。◆

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