第0759日目 〈詩編第067篇:〈神がわたしたちを憐れみ、祝福し〉〉 [詩編]

 詩編第67篇です。

 詩67:1-8〈神がわたしたちを憐れみ、祝福し〉
 題詞は「指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。」

 「諸国の民」と「すべての民」は同義。即ち、イスラエルの神の教えが天の下にあまねく広められ、諸国の民がそれに従うよう求める詩だ。即ち、宣教の詩、布教の詩である。
 主旨はこうだ。われらイスラエルの神は公正である、正しい者を祝福して背く者には容赦なき裁きが与えられる━━諸国の民、すべての民が、こぞって感謝をささげるようになりますように。
 もしかすると、異教徒の国へ赴く途中の、或いは、到着して宣教活動を始めている宣教師たちが、心のなかで詩67を誦(とな)える場面があったかもしれませんね。

 「諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように/あなたがすべての民を公平に裁き/この地において諸国の民を導かれることを。」(詩67:5)

 「神がわたしたちを祝福してくださいますように。/地の果てに至るまで/すべてのものが神を畏れ敬いますように。」(詩67:8)



 『生きていくための短歌』(岩波ジュニア新書)という本があります。神戸の定時制高校に通う生徒たちが作った短歌を、彼らの生活や仕事など背景と共に紹介した本。ほぼ一年前に出たものですが、珍しいことに書店に並んですぐに買いました。事前に評判あっての行為ではない。店頭でたまたま見つけ、少し読んですぐさま購入したのです。
 それだけ、内容に手応えを感じたのかもしれません。あれは、まさにあのときの自分に必要な本であったのです。ちょうどその頃は転職活動中、直近で経験のある倉庫業務に就きたいと望んでいた。自身の手で、この経済状況を建て直し、なによりも生活の安定を図りたかった。一度失われたものを再びこの手で、自分の稼ぎで築き直したかったのです。
 幸い、すぐに仕事は見附かって朝早くから働きに出たが、残念ながらすぐに辞めざるを得なくなった。年配の差し歯の男に殺されかけた、とだけいうておく。はい、記憶封印。
 ……ぼくがこの本を手に取ったのは、なによりもそこに若い人の生活力にあふれていた点に共感し、尊敬を抱いたからでした。十代中葉で油まみれになった手を誇り、なかなか思うようにならない生活を懸命に生きようとしている人たちが、ここにいる。ぼくはこの年齢になって、なにを生き迷っているのか。彼らの方が余程しっかりしているではないか。社会的に大きな仕事をしていても、立派な会社に勤めていても、彼らには遠く及ばない。
 いまでもこの本はすぐ手に取れる場所にある。落ちこんでいたり、些事に煩わしさを感じたりするとき、この本を開く。そうして、俺はまだ真剣に生きていないな、と反省し、また明日を頑張ろうと立ちあがるのだ。職場、って、そういうものだしね。◆

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