第0760日目1/2 〈詩編第068篇:〈神は立ち上がり、敵を散らされる。〉withカラヤン=BPO1977年東京ライヴのベートーヴェンでは第1番が良いな〉 [詩編]

 詩編第68篇です。

 詩68:1-36〈神は立ち上がり、敵を散らされる。〉
 題詞は「指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。歌。」

 戦場へ赴く際、意気高揚の目的もあって作られた詩であろう。萎えがちな心、乱れがちな士気をまとめ、鼓舞するのに有効なのは檄を飛ばすことではなく、このように集団で歌をうたうことだ。詩句を追ってゆくと、この詩がイスラエル建国史にだぶってくるように感じるのを否めない。おそらく聞き馴染んだ固有名詞が散りばめられているせいだろう。
 嗣業の民は神の導きによりエジプトをあとにすると、困難の末“乳と蜜の流れる地”カナンへ入植し、幾度かの内戦を経てから王を立ててイスラエル王国を興した。諸国の民はそのイスラエルを討とうと窺うが、神は必ず彼らを打ち倒し、その血を大地へ流す。やがて諸国はイスラエルに貢ぐようになる。━━<神>の王国による世界支配(あくまで当時の概念に於ける“世界”である)を期待する気持ちがよく表れた詩であるまいか。
 とはいえ、現代の━━あまりにキナ臭く秩序の壊れかけた21世紀の空気のなかで読むと、詩68は幾分ニュアンスの異なる面をわれらに見せる。少なくともわたくしには読むたび毎に、これが一種の殉教の歌のように思えてくるのだ。━━虐げられし人々、或いは自分たちをそういう存在だと思いこんでいる人々の姿が、この詩の背景に見えてくる。我ながらおかしなものだ、と思う。

 「力を神に帰せよ。/神の威光はイスラエルの上にあり/神の威力は雲のかなたにある。/神よ、あなたは聖所にいまし、恐るべき方。/イスラエルの神は御自分の民に力と権威を賜る。/神をたたえよ。」(詩68:35-36)



 過日に購入した、1977年東京でのカラヤン=BPOによるベートーヴェン・チクルスのCDを聴き直しています。聴くたび毎に《英雄》と《田園》、第5番がいい、と感動するのですけれど、今回はいつにも増して、交響曲第1番が凄い、と思いました。
 比較的軽量級の交響曲ですが、当時のBPOがフル編成で奏でると、斯くも雄大な交響曲へ変貌するのか、と感嘆したわけです。試しに彼らがEMIとDGへ録音したセッション録音や他の指揮者数名による第1番と聴き較べてみましたが(後者についてはライヴを含む)、やはり1977年の来日公演を凌ぐ演奏ではなかった。
 なぜ、この曲をこれ程に気に入ってしまったのか。考えても考えがまとまらない。単純に度肝を抜かれたのだ、としか言い様がない。呼吸とテンポ。双方が相俟って、これだけの感銘を与えたのだ……と書いてみても、しっくりしないでいる自分がいるのも事実。音楽ブログに書くまで、もうちょっと考えましょう。当時、生で聴けた人が羨ましい。◆

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