第0761日目 〈詩編第069篇:〈神よ、わたしを救ってください。〉〉 [詩編]

 詩編第69篇です。

 詩69:1-37〈神よ、わたしを救ってください。〉
 題詞は「指揮者によって。『ゆり』に合わせて。ダビデの詩。」

 詩22同様、メシア(救世主)を待ち望む詩。わたくしはこちらの方が好きだ。なにを訴え、なにを語らんとするかがよくわかるし、最後の節までたどり着くともう一度、最初の節へ戻りたくなる中毒性を含んでいる。詩22を読んだ約一ヶ月半前と現在とで心境が異なるせいかもしれない。いまの状況と詩69はあまりにも重なるところがありすぎて、読んだときはすっかりびっくりしてしまった。それも、聖書読書がもたらすふしぎな<共鳴>であるかもしれぬ。が、そんな個人的な告白を別にしても、すこぶる感度のよい詩である、とは思っている。
 新約聖書に引用される旧約聖書の言葉は多い(新共同訳をお使いの方は巻末付録の「新約聖書における旧約聖書からの引用箇所一覧表」を参照ください)。なかでも目立つのは「詩編」であるが、詩22とならんで目に付くのが、この詩69だ。両方、メシアの出現を期待、或いは予言しており、描写の幾つかはイエス・キリストにのみ当てはまるがために、新約聖書に取りこまれる頻度も多いわけだが、参考までに、━━
 ・詩69:10と「ヨハネの福音書」(ヨハ)2:17
 ・詩69:5と前掲書15:25
 ・詩69:26と「使徒言行録」(使)1:20a
 ・詩69:23-24と「ローマの信徒への手紙」(ロマ)11:9-10
 ・詩69:10と前掲書15:3
━━となる。これは上述の一覧表からピックアップしたから、潜在的なレヴェルでいえば、も少し多くの影響関係を見出せるかもしれない(新改訳をお使いの方なら、脚注という形で当該箇所とすぐ参照できますね)。なお、滅多に新約聖書に触れることはないから、ここで両者の該当箇所を一つだけ、試みに挙げてみよう。
 「彼らの宿営は荒れ果て/天幕に住む者もなくなりますように。」(詩69:26)
 「詩編にはこう書いてあります。/『その住まいは荒れ果てよ、/そこに住む者はいなくなれ。』」(使1:20)
 使1:20にはもう一つ、「詩編」からの引用がありますが、それは第109篇第8節なので、ここでは触れぬことと致します。
 ちょっと道草を喰いましたが、詩69は内と外からわが身、わが心を嬲る迫害にひたすら耐え、いつの日か主が救い出したイスラエルに、シオンに、そこを嗣業の地とする主の僕たる民が住むであろう、という骨格を持つ。わたくしはこれを、魂をいたぶられる者が心の支え、縁(よすが)にする詩と感じ、読むのであります。<行為に及ぶのではなく、ただ耐える>という点がポイントでありましょう。そんなわたくしが一読して共感し、かつ「よくわかる!」と叫んだ詩句を紹介します。
 「わたしが断食して泣けば/そうするからといって嘲られ/粗布を衣とすれば/それもわたしへの嘲りの歌になります。」(詩69:11-12) 〈よくわかる!〉
 「嘲りに心を打ち砕かれ/わたしは無力になりました。/望んでいた同情は得られず/慰めてくれる人も見いだせません。」(詩69:21) 〈共感〉
 最後に、いつものように〆の詩句を引用して、今日を終わらせましょう。

 「天よ地よ、主を賛美せよ/海も、その中にうごめくものもすべて。/神は必ずシオンを救い/ユダの町々を再現してくださる。/彼らはその地に住み、その地を継ぐ。/主の僕らの子孫はそこを嗣業とし、/御名を愛する人々はその地に住み着く。」(詩69:35-37)



 市の中央図書館でヒルティの伝記を借りようと棚の前にいたら、新潮文庫版シャーロック・ホームズ全集の訳者、延原謙の伝記を偶然発見しました。所蔵は知っていてもこれまでずっと借り出されていて、なかなか書架にはなかった本。勿論、借りました。これから寝床に入ってしばし読み耽るつもりです。
 これから出勤のみなさま、ごめんなさい。今宵さんさんかは夜更かしします(現在、午前03時37分……おい)。◆

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