第0762日目 〈詩編第070篇:〈神よ、速やかにわたしを救い出し〉&映画『恋の正しい方法は本にも設計図にも載っていない』を観た思い出。〉 [詩編]

 詩編第70篇です。

 詩70:1-6〈神よ、速やかにわたしを救い出し〉
 題詞は「指揮者によって。ダビデの詩。記念。」

 危難からの救出と正義の執行を、作者は待ち望む。
 過剰な装飾を削いだ、平明かつ率直な表現がされていて、変に引っかかることなくすらすら読める、ありがたい詩だ。<読み流せる>ようでその実、心にするする入ってゆく類の詩なのである。そうして、或る特定のフレーズが(意識して覚えたわけでもないのに)ずっと頭の片隅になんとなく残っている、なんて経験をさせてくれる詩でもあるのだ。
 初めて聖書を買ってきちんと読み始めるまでの数年間、折に触れて巻を開いて拾い読みすることはあったが、その当時から詩70は心惹かれる詩であり、魅せられたように読む部分のある詩であった。偏愛とまではゆかぬが、心慰みにぼんやり眺めること多き━━握玩の域に近い詩編であった、と往時を回想しつつそんなことを記しておく。
 なお、詩40後半部分(詩40:14-18)との符合は見逃せない。どんな影響関係があったのだろう。

 「あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。/主よ、遅れないでください。」(詩70:6)



 グールドのCDを就寝の際に聴いてはならぬな、と自己反省を込めていってみるさんさんかです。ちなみに反省かつ確信を得たのは、バッハ《平均率クラヴィーア曲集》でした。
 閑話休題(さて、それはさておき)。去る第0729日目:詩編第38篇の日、新宿バルト9に中川翔子の初主演映画『恋の正しい方法は本にも設計図にも載っていない』を観た、とご報告しました。今日はそれの思い出を、感想ではない形で徒然に書いてみます。
 結構軽い気持ちで観るのを決めたのだが、これは観てよかった、と心底から叫ぶことのできる映画でした。あれからちょうど1ヶ月ほど経ちますが、いまに至るもあのとき覚えた<あたたかさ>を忘れることができていない。
 中川翔子がいまのようにメジャーになる前からブログを楽しんできた身には、「しょこたん、大きくなったねぇ」としみじみする場面や台詞の一々もないではなかったのですが、いや、映画館の大きなスクリーンで観たら、思わず身震いしました。女優としての素質がこんなにたっぷりとあったのか、と感心し、感銘し、驚嘆した。改めて惚れ直しました。共演する鈴木裕樹の曲者ぶり&真っ直ぐぶりも、この映画にはよく合っていたな。この2人が、例えば山奥の秘密の場所へ2人で出掛けて語らうシーンなど、ほほえましいことこの上ない。彼の存在が映画に安定感と勢いを与えていたことは否めません。もっとこの人の出演している映画を観たいな。でも最後のキス・シーン、やっぱりあってよいですよね。
 予定調和的な結末かもしれぬが、あの2人の物語としては然るべき終わり方だったのではないか。観終えたあとのほくほく感、かの『耳をすませば』に匹敵いたしましょう。◆

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