第0766日目 〈詩編第073篇:〈神はイスラエルに対して〉〉 [詩編]

 詩編第73篇です。

 詩73:1-28〈神はイスラエルに対して〉
 題詞は「賛歌。アサフの詩。」

 「詩編」第三巻の始まりである。詩73-83まで《アサフ詩集》と称されるパートが続く。既にわれらはアサフの名前をこの「詩編」で見た。詩50を参照されたい。復習しておくと、アサフはダビデによって任命された神殿の詠唱者である。
 これを読んで、ほっ、とした。すこぶる安心したのだ。一旦道を踏み外しても悔い改めたならば、神なる主は再びその者の右手を取って導き愛してくれる。なんと大らかで清らかな詩であろう。迷いがすすぎ落とされるような読後感を味わえる。
 嗣業の民と雖も日々の労苦を託つことはあったらしい。そんな人々は当然の成り行きとして、主に反して驕り高ぶる者、悪事を働き暴力で人を屈服させる衆の生き方へ、なかば警戒、なかば羨望の眼差しを向ける。それが楽な生き方に映るなら尤もだ。人間、誰しも労苦を避けたい、減らしたい、と思う。無軌道かつ自堕落な生活、行為に魅せられても仕方ない。<悪>は常に善人を誘惑するから。
 が、神を軽んじた衆に心囚われた者にすら、主の罰、怒りは注ぐのだ。どれだけそのようなことがあろうと、主を畏れ敬い従う心は失っていない、と証したにしても。「わたしは心を清く保ち/手を洗って潔白を示したが、むなしかった。/日ごと、わたしは病に打たれ/朝ごとに懲らしめを受ける。」(詩73:13-14)
 でも既に述べたように、神は再びその人を迎え入れてくれる。なんと良い詩だろう。救いと希望が満ちている。悪しき想念、邪淫の妄執に駆られて行動する者は罰せられるが、誘惑を退けて反省し、悔い改めたならば罪は除かれる。どう表現しようと、清らかな魂の再生を喜び感謝する詩である、という本質は変わらない。

 「地上であなたを愛していなければ/天で誰がわたしを助けてくれようか。/わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが/神はとこしえにわたしの心の砦/わたしに与えられた分。
 見よ、あなたから遠ざかる者は滅びる。/御もとから迷い去る者をあなたは絶たれる。/わたしは、神に近くあることを幸いとし/主なる神に避けどころを置く。/わたしは御業をことごとく語り伝えよう。」(詩73:25-28)



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