第0767日目 〈詩編第074篇:〈神よ、なぜあなたは〉〉 [詩編]

 詩編第74篇です。

 詩74:1-23〈神よ、なぜあなたは〉
 題詞は「マスキール。アサフの詩。」

 王都エルサレムは荒廃した。王宮は破壊され、至聖所は打ち砕かれた。主の坐す所は汚され、あちこちが廃墟となった。未だ火は燻り、空は煙に塗り潰された。作者はそんな廃都同然と化したエルサレムに立って、この事態を嘆き、「なぜなのか」と訴える。
 主よ、なぜあなたはわれらを見放し、敵のなすがままにされたのか。敵はあなたの名を置く聖所まで破壊し、御名を侮ります。神よ、弱き者の魂を守り、われらを忘れないでください。どうか契約を顧みてください。あなたの嗣業の民が再びあなたを讃えることができますように。
 「神よ、刃向かう者はいつまで嘲るのでしょうか。/敵は永久にあなたの御名を侮るのでしょうか。/なぜ、手を引かれてしまわれたのですか。/右の御手は、ふところに入れられたまま。」(詩74:10-11)
 「神よ、立ち上がり/御自分のために争ってください。/神を知らぬ者が絶えずあなたを嘲っているのを/御心に留めてください。/あなたに刃向かう者のあげる声/あなたに立ち向かう者の常に起こす騒ぎを/どうか、決して忘れないでください。」(詩74:22-23)
 「列王記」と「歴代誌」を読み返してみると、この詩はエジプト王シシャクによるエルサレム攻撃(王上14:25-26)、もしくはバビロニア軍侵攻による南王国ユダ滅亡-王都エルサレム陥落(王下25:1-21)を背景とした歌ではないか、と推察される。見落としがない限り、<敵>によるエルサレム蹂躙はエジプトとバビロニアによるものしかなかったように思う。
 もう一つ、詩74:9に「今は預言者もいません」とある。王国分裂時、南のユダに預言者はなく、バビロニアによるエルサレム陥落・破壊時にはエゼキエルとエレミヤはこの地を去っていた。詩74はそれ以後の作、と考えてよいのかもしれない。
 わたくしはこれを読みながら、リヒャルト・シュトラウスの交響詩《変容(メタモルフォーゼン)》を思い出していた。詩74の描写と交響詩の作曲背景が、完全にダブって離れなかったのである。少しく説明すると、《変容(メタモルフォーゼン)》は1944-45年にかけて作曲された、23の独奏弦楽器による短調の、極めて悲痛な音楽である。作曲家は戦禍で荒廃したドイツの街並み、破壊された劇場━━二度と戻らぬ文化の崩壊を目の当たりにして感じた感情を、この曲に塗りこめた。当然の裏返しとしてそこには、失われた時代への追憶が息づいている。これは、リヒャルト・シュトラウスの作品としては最上の部類に入る作品だ。R.Sを嫌い、かつ苦手とする人も多いが、そうした人にでも俄然お奨めできる作品、とわたくしは思うておる。推薦の演奏は、(やはり、というべきか)カラヤン=BPOによる1980年9月の録音(DG)。ルドルフ・ケンペ=シュターツカペレ・ドレスデンによる1970-71年の録音(EMI:BRILLIANT)もそれに並んで聴くこと多い演奏である。それ以外は、まぁ、みなさまの懐具合とお好み次第で、というところだ。

 「主よ、御心に留めてください、敵が嘲るのを/神を知らぬ民があなたの御名を侮るのを。/あなたの鳩の魂を獣に渡さないでください。/あなたの貧しい人々の命を/永遠に忘れ去らないでください。/契約を顧みてください。/地の暗い隅々には/不法の住みかがひしめいています。/どうか、虐げられた人が再び辱められることなく/貧しい人、乏しい人が/御名を賛美することができますように。」(詩74:18-21)



 庭木を剪定するときは(種類にもよりますが、或る程度まで)大胆にハサミを入れてしまった方が格好がつきます。また、皮膚にこびりついた樹液は、塩で洗うと綺麗に取れます。肌もすべすべになって、一石二鳥ですよ。さんさんか、本日それを知る。
 暇に任せてドストエフスキーの傍らヒルティ伝を読み耽った、晴れた空を見あげると心地よい気分を覚える今日でありました。でも、ちょっと薄ら寒かったですね。◆

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