第0768日目 〈詩編第075篇:〈あなたに感謝をささげます〉〉 [詩編]

 詩編第75篇です。

 詩75:1-11〈あなたに感謝をささげます〉
 題詞は「指揮者によって。『滅ぼさないでください』に合わせて。賛歌。アサフ詩集。歌。」

 短い詩であるが論旨は明確である。主の言葉に比喩はあるが、伝えんとするメッセージは不変である。主はいう、━━「わたしは必ず時を選び、公平な裁きを行う。/地はそこに住むすべてのものと共に/溶け去ろうとしている。/しかし、わたしは自ら地の柱を固める。」(詩75:3-4)
 驕り逆らう者には制裁が下り、従う者は高く上げられる。それは自明の理。だからこそ従う者は神なる主に感謝をささげ、その驚くべき御業を物語り、ほめ歌をうたう。なぜならば、主は、「逆らう者をことごとく折り/従う者の角を高く上げる」(詩75:11)からだ。
 勧善懲悪を謳うが、あくまで神の基準に基づくそれであり、民の思いや思惑を裏切る性質のものであることは留意すべきであろう。



 買うか否か苦悩中の文庫の解説に、『ロリータ』の著者として有名なV.ナボコフの言葉が━━たしか、「名作は再読してこそ面白くなる」とか、そんなような文言であった。
 「そうだよな、うん、まったくその通りだよ!」現在読んでいるドストエフスキーの『白痴』はまさにそうした感慨を抱くに足る作品です。なんだ、この百八十度の転換は。下巻の扉には前回の読了日の他に感想がたった一言だけ、「バカげている、時間返せ!」と。……我ながら笑ってしまう。こんな短時間で文学への個人的評価は劇的に変転するのか、と。
 細切れの時間で読んでも結局は最初から読み直すことになるのですが、そんな風に行きつ戻りつして作品を読んでいると、否が応でも明瞭になってくる部分があるものです。
 それってつまり、どういうこと? こういうことです、記憶が整理され、物語世界がすっきりした構造を持って目の前に表れ、最初読んだときはわからなかったこと、わかりにくかったところへ光が当たって、ある日突然物語にどっぷり浸かっている自分を発見できる、ということ。それってつまり、作品を面白く、楽しく読んでいる、ということなんだ!
 <太宰治>というクッションを置いて心機一転、新たな気持ちでドストエフスキーに取り組んだことは、決して遠回りでも失敗でもなかった。しかもそれが、『白痴』再読であったから功を奏したのだ。これと『悪霊』を捨て置いてそのまま『カラマーゾフの兄弟』まで進んでいたら、ドストエフスキーへ夢中になる自分は、十中八九いなかったであろう。それって、なんだかとても怖いことだ。勿体ないよね。読まず嫌いよりも治癒不能だ。
 上巻はあと1章で終わる。亀が歩くにも似たスピードだが、それゆえにドストエフスキーを楽しめている、と、弁解めいた言葉を書きつつも、実は満更でない感慨を抱いて、この<ドストエフスキー読書計画>を楽しんでいます。書評家じゃないんだから、小説はたっぷりどっぷり楽しんで読もうぜ! <文学>、なんて名声(?)に怖じ気づいちゃ駄目だよ。◆

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