第0773日目 〈詩編第080篇:〈イスラエルを養う方〉withストラヴィンスキーをカンブルランは、どう振るか?〉 [詩編]

 詩編第80篇です。

 詩80:1-20〈イスラエルを養う方〉
 題詞は「指揮者によって。『ゆり』に合わせて。定め。アサフの詩。賛歌。」

 国土を踏みにじる敵からわれらを救ってください、と祈る詩である。
 詩79では国土を荒らす敵をおそらくはバビロニアであろう、と推測したが、詩80ではバビロニアなのかアッシリアなのか定め難い。アッシリアであれば王下15:19-20,29にあるティグラト・ピレセル3世による北王国イスラエルへの攻撃(時のイスラエル王はメナハムとペカ)、同16:7-18にある同じアッシリア王による南王国ユダへの攻撃(時のユダ王はアハズ)を背景とするか。またバビロニアと仮定すれば、王下24:1-2,10-17,同25:1-21にある数次に渡ってのユダ攻撃、エルサレム攻撃(時のユダ王はヨヤキム、ヨヤキン、ゼデキヤ)が創作背景となろうか。
 斯様に考える根拠は詩80:3「エフライム、ベニヤミン、マナセの前に」主の御力が顕現してわたしたちを救ってほしい、とあるゆえだ。エフライムはシケムを、マナセはサマリアを擁する(旧)北王国領、ベニヤミンはエルサレムを擁する南王国ユダの領土である。アッシリアは双方を攻めて迫り、バビロニアは旧北王国領の一部を統治していたユダに迫ってこれを落とした。これゆえにアッシリアかバビロニアか、と結論するのだ。
 この詩でイスラエルは葡萄の木に喩えられている。葡萄は聖書でしばしば目にする果実で、繁殖力が強い。また、聖書中では人間が栽培するのに最もふさわしい果実とされてきた。古代イスラエルでは大切にされてきた品種である。第9-12節では、葡萄の木がエジプトからカナンへ主の手により移植され、その地へ根附いて枝を伸ばした、と詠われる。即ち、イスラエルの嗣業の民の繁栄である。続く第13-14節では、その葡萄の木を踏みにじって土地へ侵入した敵のいることが報告される。これがアッシリアかバビロニアであろう、と推測するのだ。
 「万軍の神、主よ、あなたの民は祈っています。/いつまで怒りの煙を吐き続けられるのですか。」(詩80:5)という詩句が、殊更悲痛に響きます。

 「天から目を注いで御覧ください。/このぶどうの木を顧みてください。/(中略)/それを切り、火に焼く者らは/御前に咎めを受けて滅ぼされますように。/(中略)/わたしたちはあなたを離れません。/命を得させ、御名を呼ばせてください。」(詩80:15,17,19)



 何年振りかで行く明日の演奏会を前に胸がはち切れそうな誕生日の今日、予習を兼ねてストラヴィンスキー《火の鳥》(1910年オリジナル版)を、作曲家自演(SONY)、R.クラフト(NAXOS)、アンタル・ドラティ(Decca)で聴いています。この前アバドの映画で聴いたのは1919年版。優劣を問う場でありませんから発言は差し控えますが、この曲がカンブルランの棒でどんな音色と色彩を纏うのか、とても楽しみでなりません。◆

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