第0778日目 〈詩編第085篇:〈主よ、あなたは御自分の地をお望みになり〉〉 [詩編]

 詩編第85篇です。

 詩85:1-14〈主よ、あなたは御自分の地をお望みになり〉
 題詞は「指揮者によって。コラの子の詩。賛歌。」

 <ヤコブの捕われ人>がバビロンに、ペルシアに住まっていた間、イスラエルの大地は自ら治癒して民の帰還を待ち、イスラエルの神は自分の民の犯した過ちの数々を赦した。そうして主の霊がペルシア王キュロス2世に臨んで捕囚は解放されたのである。捕囚解放を機に嗣業の民は帰り至った父祖の地で、真に主を畏れ敬う民となることを約束した。それに伴って主は自分の民に正義と平和を宣言してくださる━━。詩85は国家の再建と信仰の再生を、力強く謳いあげた詩である。
 何事につけても自らの再生・再出発を期す際、依って立つべき信じてやまぬ存在━━精神的支えとなり拠り所となる<なにものか>があれば、周囲の冷淡な眼差し、薄情な心、邪意を含んだ言葉に打ちのめされ、下を向いて唇を噛む事があろうとも、取り敢えずは立ち続けられるものだ。逆風のなかを歩むのは困難だとしても、屈んで頭上を風が通り過ぎるのを待つだけの忍耐と知恵は会得できる。
 詩85は捕囚から解放へ、苦悩から歓喜へ至る民の喜びを詠うが、その間のイスラエルを支えたのは、神なる主に依って立つ心、固い決意に満ちた心に他ならぬ。そうしてもっと素晴らしいのは、未来へ向けた健全で清冽な第一歩が刻まれたことだ。これこそが<歓び(ジヨイ)>であり<法悦(エクスタシー)>である。

 「主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします。/正義は御前を行き/主の進まれる道を備えます。」(詩85:13-14)



 出来もしないのに企む野望がある。わたくしの場合は翻訳である。以前にエミリ・ブロンテの『嵐が丘』についてはその希望あることを告白したが、他に「これだけは」と思う作品を挙げるなら、シャーロック・ホームズ譚から好きな作品だけを集めたマイ・ベスト・ストーリーズの編纂と、チャールズ&メアリ・ラム姉弟の『シェイクスピア物語』である。後者については全訳かはちょっと決めかねているが、半分ぐらいは自分の文章に訳してみたいな、と思うているのだ。
 その『シェイクスピア物語』を日々の合間合間に少しずつ読み進めているが(ようやく半分!)、今日読んだ《リア王》には参ってしまった。これはチャールズの筆になるというが、物語の引力がそれまでの喜劇に較べて途轍もなく強く、ページを繰る手も休むことを知らない。お陰で、昼休みの僅かな読書時間を有意義に、濃密に過ごすことが出来た。改めてこうして読むと、《リア王》って本当に救いのない作品なんですね。四大悲劇の頂点を極めている、とわたくしは思う。むろん、《マクベス》と《ハムレット》を貶める発言ではない。はあ、自分の文章でどこまで原作のエッセンスを伝えられのるかなぁ……。◆

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