第0781日目 〈詩編第088篇:〈主よ、わたしを救ってくださる主よ〉〉 [詩編]

 詩編第88篇です。

 詩88:1-19〈主よ、わたしを救ってくださる主よ〉
 題詞は「歌。賛歌。コラの子の詩。指揮者によって。マハラトに合わせて。レアノト。マスキール。エズラ人ヘマンの詩。」

 久々の長ったらしい題詞に一つ補足したい。「エズラ人」は新改訳では「エズラフ人」、ヘマンと、次の詩89に現れるエタンがこのエズラ人とされる。2人は王上4:31と代上2:6にあるヘマンとエタンとは同一人物とされ、仮にそうならエズラ人はユダ族と関わりを持っている。
 詩88は悲痛な叫びが充満した詩である。これまでの生涯、苦しみに虐げられた人が、それでも闇のなかで祈っている。死に汚れた魂を救ってください、なぜあなたはわたしを苦しめられるのですか? みな、わたしを遠ざけ、わたしは独りぽっち、「今、わたしに親しいのは暗闇だけです。」(詩88:19)
 「ヨブ記」にあっても不自然を覚えぬが、実はわたくしにとってはなるべくなら避けて通りたい詩篇でもあった。なぜなら亡き婚約者の遺したノートの一頁にこれが全文書き写されていたからだ。━━「主よ、なぜわたしの魂を突き放し/なぜ御顔をわたしに隠しておられるのですか。」(詩88:15) これが彼女の涙ながらの訴えのように、わたくしには聞こえるのだ。「わたしは若いときから苦しんできました。/今は、死を待ちます」(詩88:16)なんて、君よ、ゆめ言ふてくれ給ふな。

 「苦悩に目は衰え/来る日も来る日も、主よ、あなたを呼び/あなたに向かって手を広げています。」(詩88:10)



 いろいろ書こうと思ったけれど、今日は、このあたりでやめておきます。なんだか、哀しくなってきたので、ね……お許しください。
 銀行で用事を済ませたあと、山川直人『澄江堂主人・前編』(エンターブレイン)を買いました。単行本になるのを、ずっと待っていたんだ。じっくり読もう。村上春樹『ねむり』(文藝春秋)かホイットマンの詩集かで悩んだのですが、結局、これにしました。◆

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