第0782日目 〈詩編第089篇:〈主の慈しみをとこしえに歌います。〉〉 [詩編]

 詩編第89篇です。

 詩89:1-53〈主の慈しみをとこしえに歌います。〉
 題詞は「マスキール。エズラ人エタンの詩。」

 主が油注がれた者の家、即ちダビデ王家の血が絶えることなく悠久に続くことを謳うパートが中心を占めるが、それはどうやら枠物語の本体を担うようで、では額縁はなにかといえば、敵が襲い来たって主の民、主の油注がれた者(の子孫)が辱められています、という告白/訴えである。
 割に長めの詩なので気が重い、或いは滅入っちゃうかもしれないが、コーヒーでも飲みながら気軽に読んでほしいものです。Let's try.「詩編」に納められる長い詩の殆どは読み流すに相応しくないものだから、腰を据えて構えて読むよりも、あわてず騒がずじっくりちょっとずつ読んでゆけば、うーむ、なるほど、と深く首肯し、内蔵を鷲摑みにされること間違いなしな読み応えある詩━━それだけきちんと咀嚼したなら必ずや己の糧となること請け合いの詩が揃っている。この詩89はその好例といえよう。
 本詩を以て「詩編」第三巻は終わるけれども、その第三巻が、ダビデ王家に主が与えた永劫の約束とそれに背いた結果が効果的に述べられた詩篇で幕を閉じるのは、なんだか意味深長である。━━いや、別に深い意味なんかないのかもしれないけれども、そんな風なことをつい考えさせてしまう(無用な)誘惑を内に秘めた詩である……とは余計な発言であったか。まあ、詩89:29-33,39-46を読んで、斯く思うたのだ。
 くだらぬ読み方講座めいた話をした。相済まぬ。インターヴァルを置いて第四巻に入る。

 「主よ、あなたの真実は/あなたを取り囲んでいます。」(詩89:9)

 「あなたは力強い業を成し遂げる腕を具え/御手の力を振るい/右の御手を高く上げられます。/正しい裁きは御座の基/慈しみとまことは御前に進みます。」(詩89:14-15)

 「命ある人間で、死を見ないものがあるでしょうか。/陰府(よみ)の手から魂を救い出せるものが/ひとりでもあるでしょうか。」(詩89:49)



 完全復帰の初日をどうにか無事に過ごせたのは、やはり仲間のお陰か。これからどうなるかわからぬが(ポケポケプウもいなくなってしまった)、かつてのとき同様に頑張りすぎないように頑張ろう。この3ヶ月間、何だ彼だとあったのはこれからの長い道程を息切れさせないように、という配慮であったのだろうか。まぁ、そう思おう。感謝。
 横浜ブルク9にて『シネ響 マエストロ6;サイモン・ラトル=BPO=ラン・ラン』上映中。やった! 他の指揮者の映像も上映されたらいいけれど、今月は観たい映画が重なります。さすが年末。METはどうする? 来月はアリス=紗良・オットのリサイタルだ。◆

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