第0785日目 〈吹奏楽も音楽だッ!〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 休みの今日、エッセイを一本書きあげたあとで、映画『ブラス!』を観た。そうしたら、20世紀最後の数年間に付き合っていたバスガイドの女性を思い出した。それに伴って、彼女の言葉が鮮明に脳裏によみがえる、曰く━━「吹奏楽団とブラスバンドを一緒にしてほしくないのよね」
 知り合うまではあまり気にも留めていなかったのだが、どうやら世間は両者を混同しているらしく、吹奏族には基本であるこの事実、よほど他では知られていないらしい。吹奏楽団は木管楽器と金管楽器、打楽器で構成され、そこから木管楽器を省いた編成がブラスバンドである。
   管弦楽団-弦楽器=吹奏楽団
   吹奏楽団-木管楽器=ブラスバンド
とでも説明すればいいだろうか。ただ、曲によっては弦楽器であるコントラバス(ストリング・ベース、ダブル・ベースとも)や撥弦楽器であるハープが加わることもあるので、上記は基本編成と思っていただければ幸甚。
 ふり返れば折々の場面で吹奏楽に接しているのだが、さしたる印象はない。実際はなにも聴かずに過ごしてきたようなものだ。吹奏楽をやっている者が、人生の一時期傍らにいたからとて、きっかけなくしてはこの分野へ関心を持ち、文章を綴ることもなかっただろう。
 きっかけ……いろいろあるが、決定打は「『チェルシー組曲』って知ってる?」という唐突な彼女の一言。読者諸兄のなかには、ロナルド・ジールマンが作曲した『チェルシー組曲』を演奏した経験をお持ちの方があるかもしれない。が、残念ながらわたくしはこれを知らなかった。あっさり否定してその場は済んだが、どうにもその一幕が脳裏から離れず、調べまくり訊ねまわり、やがて作曲家の簡素な履歴と他の作品の一覧、楽譜と録音のあることを知った。
 これが契機となり、主にオリジナル曲を中心にいろいろ聴いていった。編曲物はあまり好かなかったな。オリジナル曲の方は定番から世界初演のライヴまで様々に聴いた。けれども、この世界へ足を踏みこむまでは、吹奏楽のために書かれた曲がこんなに多いとは思いもよらなかったことも、この際だから白状しておこう。
 ホルストやヴォーン・ウィリアムズといった吹奏楽の古典を遺した作曲家、オリヴァドーティやスウェアリンジェンの如く練習曲や初級曲の定番をものした作曲家、ヒンデミットやフサのようなこの分野の最高峰と称す他ない曲を書いた作曲家がうようよしているのを知っただけでも、それは大いなる収穫である。
 件の女性と別れたあともしばらくの年数は吹奏楽を聴いていたのも、こうしたオリジナル曲の数々に魅了されていたからに他ならない。クラシック音楽の作曲家を知るには吹奏楽からのアプローチも、場合によっては必要なのだな、と思いを新たにしたところでもあった。
 彼女と話していて興味深かったのはスクールバンドのことだ。中学や高校などのスクールバンドの運営は、どこまでもクラブ活動という学校教育の枠内にある。クラブに与えられる主な目的は、それぞれの活動を通じて人間としての成長を計り、部員たちの団結を強め、交流を深めること。文化系クラブの殆どが校内活動ばかりなのに対し、吹奏楽部、ブラスバンド部は各種のコンクール始めイベントへの参加は欠くべからざる活動であり、これあるからこそ、文化系クラブでは例外的に他校や地域との結びつきが生まれ、維持されてゆくのだ。人によっては、吹奏楽団を持つ企業からのオファーも、高校卒業時にはあるらしい。
 もっとも、「両刃の剣」というようにそれが学校教育の一環だからこそ、一定以上に広がり様のない部分を含んでいるのは、やむないことなのかもしれない。
 練習だってコンクールや定期演奏会の直前となれば休日返上で朝から晩まで、夏休みになればご丁寧に合宿さえもが用意され、若き吹奏族はますますその深みにはまり、音楽により魅せられてゆく……あとは無限地獄に堕ちてゆくばかり、だ。と共に、基礎体力作りと称してはグラウンドを何周も走り、腕立て伏せと腹筋を繰り返し、マウスピースを使ってアンブシェアの確認を行い……さよう、満を持しての演奏は、練習の積み重ねによってのみ生まれるのだ。しかしこうした環境が当たり前になると、そんな喜びも悲しみも共有した仲間同士がムラ意識の表れか、自然と寄り集ってコロニーを形成しがちなのは宜なるかな、という気もする。
 我が身を思い返してみても、中学生ぐらいにならないと芸術としての音楽には触れなかったように思う。音楽の授業が一段、高い内容になって音楽史を語り、楽典の解説に足を踏み入れるせいもあろうが、その一端を、実はスクールバンドが担っている。小学生の頃まではレコードで代用されていた役割の一部を代わることで、殊更に吹奏楽の存在がクローズ・アップされたりするのは、殆どすべての中学が吹奏楽部、ブラスバンド部を持つ所以だろう。
 現実問題、地方在住の学生が過半を占める(=吹奏族の過半が地方在住)ことから、ときとしてスクールバンドは、演奏する側聴く側の別なく、初めて芸術としての音楽に接するきっかけをもたらす。どんなに小さな町でもたいていは町立学校があるものだ(とはいえ最近はまた事情が変わってきて、統廃合がいっそう進んでいると仄聞するが)。つまり、スクールバンドも一つはある、ということだ。これは地方に限ったことでなく都市部でも似たり寄ったりなのだが、地方は都市部と較べた場合、芸術音楽へ日常的に接し得る機会が少ないのは、残念ながら事実なのである。
 おそらく吹奏楽の経験者がやがてクラシック音楽やジャズ、ロック、ポップスといった他分野へ転向してゆくのは、吹奏楽が本格的なクラシック音楽へステップ・アップするための踏み台、異なる音楽分野へ参入するまでの準備期間という意識が強く、同時に吹奏楽で活躍してゆくことが困難な現況を憂いての行為でもあるのだろうか。
 人生の様々な場面で縁あった吹奏楽だが、それほど特別なものとは捉えず接してきたため、すてきなこの世界へ首を突っこむまで時間を費やしてしまった。その穴埋めではないけれど、当時は一つでも多くの作品に触れてみたいという熱が、わたくしをせき立てた。残された時間は無限でない。
 とは申せ、背中を後押しするきっかけとなった『チェルシー組曲』のただ一種の録音は、あれから10年以上になるけれど未だ入手する機会を得ていない。もしかすると、熱が冷めたのかもしれぬ。そうであっても、否定する気はまったくないが……。ただ、同じ時分に理由あって探しまくったメンデルスゾーンの『吹奏楽のための埋葬行進曲~ノルベルト・ブルグミュラーの思い出に』Op.103は、さいわい21世紀になって沼尻竜典=大阪市音楽団の録音とアバド=ロンドン響の録音を得た。
 しかし、情報媒体の少なさ、宣伝の浅さ狭さが災いしてか、吹奏楽がクラシック音楽のように、ジャーナリズムやレコード産業と手を組んで新しい聴衆を開拓、活性化しているといった話は、寡聞にして伝わってこない。その世界では非常に深化している様子だけれど……。先に挙げた大阪市音楽団やシエナ吹奏楽団が気を吐いていても、以前ほどの活況は窺えず、その勢いは目に見えて下火となったように見える。
 部外者の発言で恐縮だが、コンクール至上主義、アレンジものの偏重、閉ざされた世界での活動にはもう別れを告げ、実用音楽から純粋音楽への意識改革を布告してもよい時代ではないか。
 書きたいことはたくさんあるが、ここは強い意思を揮って思いとどまり、お開きとしよう。最後に一言、これだけはどうしても――吹奏楽は音楽だ。それ以外のなにものでもない。◆

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