第0799日目 〈詩編第101篇:〈慈しみと裁きをわたしは歌い〉〉 [詩編]

 詩編第101篇です。

 詩101:1-8〈慈しみと裁きをわたしは歌い〉
 題詞は「ダビデの詩。賛歌。」

 ほぼ二週間ぶりのダビデ詩篇で、詩86〈主よ、わたしに耳を傾け、答えてください。〉以来である。
 詩101は主の来臨を期待する気持ちと、主の目に悪と映ることを行う人々を憎み、退け、裁く、という誓いが、それぞれ吐露された詩だ。殊、「隠れて友をそしる者を滅ぼし/傲慢な目、驕る心を持つ者を許しません」という第5節の詩句には深く共感し、首肯させられるところがある。
 いま手許に参考書の類がない状態でこれを書いているので、理解が行き届かなく、読解も浅くてたいへん恐縮なのだが、詩101:6-8はなにを語っているのだろう。あるがままに解釈して━━イスラエル(後には分裂した南北両王国を含んでの謂であろう)の王位を継いで玉座に坐る者は、みな、人品正しく卑しからず、かつ偽りなき者である。そうでない者は何人たりとも断たれる。━━そういうことなのであろうか。仮に違っているとしても筆者さんさんかはこの3節から成る詩句が、結構好きである。

 「わたしはこの地の信頼のおける人々に目を留め/わたしと共に座に着かせ/完全な道を歩く人を、わたしに仕えさせます。/わたしの家においては/人を欺く者をわたしの目の前に立たせません。/朝ごとに、わたしはこの地の逆らう者を滅ぼし/悪を行う者をことごとく、主の都から断ちます。」(詩101:6-8)



 JR各社のICカードが統一されるらしい。新聞の第一面でそんな記事を読んだ。東海地方の或る港町を第二の故郷とするさんさんかにはまさしく朗報だ。
 かつて覚えた憤りとはもうサヨナラだ。これからはSuicaで第二の故郷へ行くことが出来る。そこは子供時代を過ごした場所。成人してからはときどき訪れて記憶が正確無比なのにわれながら驚嘆し、最近はその記憶に助けられて小説の主要舞台の一つとなった。
 防波堤で飽きず観察した海の表情が千変万化する様はいまも胸のいちばん奥にしまってある、なににも代え難い思い出。夕陽が水平線に沈みゆくその瞬間から完全に没するに至るまでを子供ながら息を詰めて眺めたり、時化で荒れまくる海の神々しさと荒々しさを肌で体験したことは、大切な財産だ。その舞台となったもう一つの故郷へこれからはICカード一枚で訪れることが出来る。素晴らしいではないか?
 小さな旅にはSuicaとドスエフスキー、もしくはフィッツジェラルドを携えてゆこう。そうね、クリスマスが終わった翌日あたりに?◆

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