第0800日目 〈詩編第102篇:〈主よ、わたしの祈りを聞いてください。〉〉 [詩編]

 詩編第102篇です。

 詩102:1-29〈主よ、わたしの祈りを聞いてください。〉
 題詞は「祈り。心挫けて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩。」

 これは、と思う、統一王国イスラエルもしくは南王国ユダが敵により蹂躙されエルサレムが汚された後、荒廃した大地に立ってその光景に悲しむ作者が再びの神なる主の慈しみと来臨を切に願っている詩なのであろうかと。一方でこの詩ははるか未来に誕生し、シオンに現れるであろうメシアを期待する━━メシア詩篇の一つでもあろうか、と。
 何度もいうようにわたくしはキリスト者でないから、彼らのなかでこの詩がどう教えられているかは知らない。でも、それでもうっすらと分かるのは、この詩102が他の詩篇以上に深い内容を持ち、重層的なメッセージを含んでいる、ということだ。別のいい方をすれば、読み手次第で如何様にも解釈でき、捉えられることでもあろう。
 そんな理由でかは忘れたが、きちんと聖書を読み出した2008年9月9日以前にわたくしはこの詩を(偶々)読んで感銘を受けたようで、詩番の頭に二重丸を付けている。爾来この詩はわが心の潤いにも拠り所にもなっている。「詩編」全150編の内、わたくしがいちばん愛してやまぬのは、実はこの詩102なのである。

 「恵みのとき、定められたときが来ました。/あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み/塵をすら、どれほど慕うことでしょう。/(中略)/主はすべてを喪失した者の祈りを顧み/その祈りを侮られませんでした。」(詩102:14-15,18)



 滑りこみセーフ? 年の瀬も迫った今日(昨日かもしれない)ようやく、みなとみらい美術館で開催中の「ドガ展」を観てきました。やはり目玉はチラシやCMにも使われた〈エトワール(星)〉であるらしく、人が屯(たむろ)していた。正直、もう少し大きな絵だと思っていたので少々肩すかしの感は否めないが、却って絵の端々に目を届かせることが出来た。
 自分のなかで「〈エトワール〉=ドガ」という公式があったため、今回の展覧会は目を開かれる思いがしたものである。踊り子や湯浴みする女性の絵はさすがに画集などで見てきたから、その実物を実際目にすることにそれなりの喜びはあったけれど、逆にいえばそれ以外の新鮮な感銘は少なかった、とまでいうて良いだろう。
 今回の展覧会で自分が〈エトワール〉以上に、ほう、と息を呑んだのは、〈バレエの練習〉やニューオリンズに取材した〈綿花取引所の人々〉などである。ドガの本領発揮、という感のある前者は待ち時間を思い思いに潰す踊り子たちの仕種が非常にチャーミングに描かれていて微笑ましく思うたし、後者についてはこれが〈エトワール〉と同じ作者による作品であるか、と疑う程明るくて生き生きとした描写に惚れこんでしまった。他、初期作品にも後期の抽象的な作風の絵にも、みなそれぞれなりに良いものを感じたのである。
 もうすぐ終わるドガ展だが、機会あればもう一度、と思う後悔と執念相半ばする気持ちの忘年会帰りの夜であった。◆

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