第0809日目 〈詩編第107篇:〈「恵み深い主に感謝せよ〉〉 [詩編]

 詩編第107篇です。

 詩107:1-43〈「恵み深い主に感謝せよ〉
 題詞なし。

 遂に第五巻の開巻である。これより「詩編」は最後の一篇へと、約二ヶ月をかけて歩を進めてゆくことになる。なお、この第五巻は最長を誇る詩119を擁する巻でもある。
 ━━これは、神の定めた営みに(結果的に)背き、或いは道を踏み外したがために災難に見舞われた人々が、主へ助けを求めて呼び叫ぶと主は人々を苛む苦しみから彼らを救った、という構図を持った詩だ。
 因果応報とそれからの救済が本詩の骨子、というてよいだろうか。詩107:17-22なんかは全編の真骨頂、クライマックスを形成し、全編のエッセンスが抽出された箇所に思われてならない。
 神なる主は背く者、己の目に悪と映ることを行う者にはことごとく怒りを降し、その大地をも荒れ地にし、塩ばかりの地へ変えた。ソドムとゴモラを見よ、メリバの水を思い出せ、なによりもイスラエル/ユダの崩壊こそがその証し。翻って、主は従う者、己の道を正しく歩む者にはことごとく祝福と恵みを与え、その大地を肥えさせ、水も実りも豊かな地とした。大洪水後のノアを見よ、敬虔なるルツを思い出せ、なによりもダビデとソロモン治世下のイスラエルの繁栄こそがその証し。
 「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと/主は彼らの苦しみに救いを与えられた。」(詩107:19)どれだけ<絶望>という名の奈落の底にあって光を見出せない状況にあろうとも、こんな風にいってもらえたら、なんだか門外漢のわたくしもうれしくなってしまう。そうか、どんな境遇に陥ろうともまだ希望は残されているんだ、と。ああ、心が軽くなる思いだな……。
 苦しみと痛みは人間を鍛え、強くする。それは即ち、逞しき<心のあり方>の問題だ。どんなときでも大地に両の脚ですっくと立ち、眼差しを前に向けて歩き出せる勇気を持ち続けられる人こそが、真に強い人間である。この詩を読んでいて、そんなことを思うのでありますよ。

 「不毛、災厄、嘆きによって/彼らは減って行き、屈み込んだ。/主は貴族らの上に辱めを浴びせ/道もない混沌に迷い込ませられたが/乏しい人はその貧苦から高く上げ/羊の群れのような大家族とされた。
 正しい人はこれを見て喜び祝い/不正を行う者は口を閉ざす。/知恵ある人は皆、これらのことを心に納め、主の慈しみに目を注ぐがよい。」(詩107:39-43)



 仕事納め。彼らと出会えたことがいちばんの喜び。みんながいなければ、あのメンバーでなければ、とっくに辞めていたかもしれない。あなた方の存在に感謝。ありがとう。◆

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