第0810日目 〈詩編第108篇:〈神よ、わたしの心は確かです。〉withフォイアマン=ハイフェッツ=プリムローズ=ルービンシュタイン;弦楽三重奏・ピアノ三重奏を聴きました。〉 [詩編]

 詩編第108篇です。

 詩108:1-14〈神よ、わたしの心は確かです。〉
 題詞は「歌。賛歌。ダビデの詩。」

 ダビデ時代、イスラエルを見舞った大きな災厄といえば、人口調査に端を発した疫病の流行ぐらいしか思い浮かばぬが、一々既述するほどではないレヴェルで諸国との衝突はあったのかもしれない。
 詩108をダビデ作とした場合、どんな状況で詠まれたものか定かにし難いけれど、上述のような<書かれなかった出来事>の存在を「サムエル記」や「歴代誌」の外に感じてしまう。個人的に思うこととしてダビデ詩篇、或いは《ダビデ詩集》には摑み所のない作物が多いのだけれど、今回の詩108は自分にとってまさしくそんな詩だ。
 とはいえ、救いと希望を求める真摯な気持ちは、読み手の胸奥の深いところまで届いてくる。こうしたカンドコのはっきりしている点がダビデ詩篇の愛誦・愛読される所以であり、シュッツを始めとする作曲家たちが好んで触手を伸ばす理由であるのかもしれない、と倩思うのである。

 「神よ、あなたは我らを突き放されたのか。/神よ、あなたは/我らと共に出陣してくださらないのか。
 どうか我らを助け、敵からお救いください。/人間の与える救いはむなしいものです。/神と共に我らは力を振るいます。/神が敵を踏みにじってくださいます。」(詩108:12-14)



 今日買った室内楽のCDを鑑賞中。【オーパス蔵】というレーベルから発売されている、E.フォイアマン(Vc)とJ.ハイフェッツ(Vn)のコンビにプリムローズ(Vl)とルービンシュタイン(P)を加えた弦楽三重奏・ピアノ三重奏のCDです(OPK2062/3)。序にいえば収録曲の一つ、ベートーヴェンの《大公》トリオは、村上春樹『海辺のカフカ』に登場した録音である由。
 帯には「数ヶ月遅れていたら実現不能だった」とありますが、実現したことに感謝すると共に、5人の名演奏家が1941年当時アメリカにいてくれたことを随喜したい程、心を揺さぶられる一期一会の名演奏です。もっとも、彼らがあの時代、アメリカにいたことについては単純に喜べない事情もあるのですが、それはライナー・ノーツをご参照ください。
 1941年の録音に加えてSPからの復刻のため、初めてこの種のCDを聴く人には若干辛い部分があるかもしれませんが、でも、すぐに馴れてしまいますよ。針音の向こうから雄弁な演奏が聞こえてきたとき、きっと音楽のすばらしさをもう一度味わい、往年の録音が持っていた<熱情>と<雄渾> を追体験いただけるものと信じております。
 わたくしは最初に出会ったトスカニーニのベートーヴェンとメンゲルベルクのバッハでそれに囚われ、今日までヒストリカル物を長く、浅く聴いてきた者であります。みなさんにも、古い、というだけの理由で敬遠されたりせず、これらの録音に目を留めていただきたい、と思います。
 ━━「またいつか、どこかで会おうね」とは、体よくふられたってこと? いやだなぁ、あの人のこと、本気で想っていたのに……。ぐしゅん。“殆ど情熱的とも言ってよいような、生き生きとした恋情”(ヒルティ)こそ! せっかく過去の恋を断ち切ったと思えば、すぐにこれか。人生とは、なにもかも報われぬようにできているものであります。◆

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