第0812日目 〈詩編第110篇:〈わが主に賜った主の御言葉。〉&磯山雅『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』〉 [詩編]

 詩編第110篇です。

 詩110:1-7〈わが主に賜った主の御言葉。〉
 題詞は「ダビデの詩。賛歌。」

 主は自らの言葉で王を選び、嗣業の民の上に立たせる。彼は主にとり「とこしえの祭司/メルキゼデク(わたしの正しい王)」(詩110:4)である。
 ━━この詩はダビデから未来の王に宛てたメッセージ、とわたくしは読む。将来、統一王国は北と南に分裂するが、メッセージの受け取り手はもちろんダビデ王朝として存続した南王国ユダの歴代の王であり、遠くはメシアたるイエスにまで敷衍できよう。
 これは主により保証、約束された王権と王位が継承されてゆく正統を、強力に補強する詩である。政治と宗教が一体であった時代ならではの産物、といえようか。

 「主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。/敵のただ中で支配せよ。/あなたの民は進んであなたを迎える。/聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ/曙の胎から若さの露があなたに降るとき。」(詩110:2-3)

 「主はあなたの右に立ち/怒りの日に諸王を撃たれる。/主は諸国を裁き、頭となる者を撃ち/広大な地をしかばねで覆われる。」(詩110:5-6)



 いちおう、喪中のために送り洩らした相手への年賀状を焦って書く必要もなく、初詣に自宅前の神社へ出掛けるわけにも行かず、のんびりと元日を過ごしていたさんさんかです。みな様、どんな愛ある元日をお過ごしでいらっしゃりますでしょうかね? やさぐれている、って? まぁ、気にすんなよ!
 必要あって磯山雅『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』(東京書籍)を読んでいました。ぼくのバッハ理解の根本を作り、その後も地均しと拡大の基本を作った磯山氏の最初の出版物で、今日に至るまでこれ以上のバッハ伝は日本語で読めていないのではないか、とさえ思う程の一冊です。
 作品の成立背景や作曲経緯について知識を得られるのはもちろん、バッハ理解には絶対に欠かせないキリスト教(この場合はプロテスタント)の教義やバッハ当時の音楽様式に関しても余り拘泥せず、でも、しっかりとポイントを外さぬ説明が平易で明解な文章で綴られている。うれしいのは、作者自身がバッハ理解に信仰は必ずしも必要でなく、教義は一つの道筋に過ぎぬだろう、と語っている件りである(P114)。ぼくはこの言葉に支えられて、バッハを聴いてきた、というても過言でない。
 演奏会、或いはCDやLP、DVDなどでバッハの音楽に親しむわれらにとって、補章「二十世紀におけるバッハ演奏の四段階」と巻末に添えられたディスコグラフィー附き「バッハ作品総覧」は、非常に読み応えある部分であろう。バッハを聴く際にお奨めの一冊。◆

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