第0945日目 〈喫茶店 南蛮屋cafe〉1/2 [日々の思い・独り言]

 ずいぶんと急な階段であったのを覚えている。ちょっと薄暗かった。店に入ってすぐ右手から伸びた階段。事情は、奥からあがれる階段も同じであったようだ。この店にいたサブ・チーフの女性によれば、ここの階段の上から三段目(二段目であったか)には記憶を吸い取る魔物が潜んでいたそうで、2階席で取った注文をこの段に足をかけた途端に忘れてまた確認に戻ることが間々あったという。
 彼女でさえそうなのだから、その下で働くスタッフは頻繁にこの魔物の犠牲になっていたようだ。いちばん上のステップに足をかけて眼下を見れば一瞬意識が遠退き、伝票に注文が書いてあっても不安になって客の許へ戻ってくる光景を、わたくしも何度か見たことがある━━というより、わたくしも注文を再確認された口なのだ。
 その店を思い出そうとしてまず脳裏へよみがえるのは、その薄暗くてまっすぐに伸びた急な階段と、それにまつわる挿話(エピソード)である。その階段がいったい何段あったか、もう覚えていない。S.ホームズに「君は見てはいても観察していない」と嘆息されても仕方ないな。
 さりとて、では明日にでも確認してきましょう、というのは無理な相談だ。なぜならば、既にその店は閉められたからである。閉店日がいつであったか、まったくわからない。わたくしもその店からだいぶ足が遠退き、以前はスタバを尻目に週末になれば通い詰めてコーヒー1杯、ときどきはお代わりをして3時間近く座を占めたこともあったというのに、さるやんごとなき事情により或る時期から足がまったく向かなくなり、その後は一年に2回行くかどうか、という程度であった。震災の直後はまだ健在だったので、閉店は年度末であっただろうか。
 数軒隣の小さな町の本屋で文庫を買って(昨日、一昨日に触れた原田マホとウッドハウスである)、高校生のとき以来入り浸っている古本屋へ行こうとした際、なんだか雰囲気が違うのに気附いてあたりを何度か眺め回してようやく、あっ、と思い至ったのである。……嗚呼ついに閉まったのか、と。
 その店は、南蛮茶房といった。喫茶店である。横浜は関内、伊勢佐木モールを奥へ、奥へと歩いてゆくと、左手にあった、ちょっと目立たないけれどなかなか雰囲気のある喫茶店だった。2007年夏頃に改装する以前は南蛮屋cafeといった。開店はおそらく1998年頃か。県央に本社を構えるコーヒー豆の卸業者、南蛮屋が直営した唯一の喫茶店。ほんの一時期、山下公園の近くにも直営のカフェがあったが、覚えている人は殆どいないだろう。
 南蛮屋cafeには名物となる店員が2人いた。店長であった三上さんとサブ・チーフの眞鍋さんである。三上さんはコーヒーに人生を賭けたような御仁であった。スタバのようにカスタマイズなど以ての外、「俺の淹れた珈琲を飲め」的な人物であったが、少なくとも一部の客には途轍もない支持を受けていた人物である。彼はいまどこかで自分の店を構えているのだろうか。
 一方の眞鍋さんは当時、黒髪の日本人形のような人、と某巨大掲示板に書き込みのあった女性で、その物腰柔らかな態度からまさしく看板娘とでも称すべき人物だった。専ら浅煎りのコーヒーを得手とし、注文を受けてから焼くこの人お手製のスコーンは絶品であった。一旦馴染むとずいぶんと話し好きで、店が暇なときなど2階の奥まった席で書き物をしているわたくしのところにまで来て四方山話を楽しんだこともあったっけな、そういえば。童話作家を目指していた、と記憶するが、いまでも物語を紡いでいるのだろうか?
 明日もこのお店のお話をしよう。◆

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