第0954日目 〈雅歌第6章:〈あなたの恋人はどこに行ってしまったの。〉&夜の雨音のみをBGMにしながら、詩を読む。〉 [雅歌]

 雅歌第6章です。

 雅6:1-12〈あなたの恋人はどこに行ってしまったの。〉
   おとめたちの歌
 1:あなたの恋人はどこに行ってしまったの。
    だれにもまして美しいおとめよ
  あなたの恋人はどこに行ってしまったの。
    一緒に探してあげましょう。

   おとめの歌
 2:わたしの恋しい人は園に
  香り草の花床に下りて行きました。
  園で群れを飼い、ゆりの花を手折っています。

 3:恋しいあの人はわたしのもの
  わたしは恋しいあの人のもの
  ゆりの中で群れを飼っているあの人のもの。

   若者の歌
 4:恋人よ、あなたはティルツァのように美しく
  エルサレムのように麗しく
  旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。
 5:わたしを混乱させるその目を
    わたしからそらせておくれ。
  あなたの髪はギレアドを駆け下る山羊の群れ。
 6:歯は雌羊の群れ。毛を刈られ
  洗い場から上ってくる雌羊の群れ。
  対になってそろい、連れあいを失ったものはない。
 7:ベールの陰のこめかみはざくろの花。

 8:王妃が六十人、側女が八十人
  若い娘の数は知れないが
 9:わたしの鳩、清らかなおとめはひとり。
  その母のただひとりの娘
  産みの親のかけがえのない娘。
  彼女を見ておとめたちは祝福し
  王妃も側女も彼女をたたえる。

   合唱
 10:曙のように姿を現すおとめは誰か。
  満月のように美しく、太陽のように輝き
  旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。

   おとめの歌
 11:わたしはくるみの園に下りて行きました。
  流れのほとりの緑の茂みに
  ぶどうの花は咲いたか
  ざくろのつぼみは咲いたか、見ようとして。
 12:知らぬ間にわたしは
  アミナティブの車に乗せられていました。

 「アミナティブ」とはなんぞや? それは「アミナタブ」から派生した語でありましょうか。アミナタブは人名として既に出6:23(モーセの兄アロンの義父として)やルツ4:19-20(ダビデの系図の内の一人として)、代上15:11(神の箱を迎えに行くメンバーの一人として)などにあった。しかし、雅6:12では個人を指すのではなく「アミナダブ」の語義、即ち「わたしの親族は寛大/高貴である」が転じて「アミナティブ」となり、それは「高貴な人の車」という意味になったか、と推測されます。
 「乗せられた」という以上、自分の意志に基づく行為ではないでしょう。では具体的にどういうことなのか。その様子は「連れ去られた」ようでもあります。G.ロイド・カーという人は、処女子がそのとき車へ「乗せられた」ように感じたのだ、としています。これまでの彼女の歌が相当にロマンティックかつファナティックなものであったことを考えると、そんな説明も納得できることであります。
 また、「ティルツァ」はヨシュ12:24で名のみ登場。ヨシュア率いるイスラエルの民によって征服された、ヨルダン川西岸の町を治めていた王の一人がティルツァです。彼が治めていた町は美しいと評判だったらしく、それが「ティルツァのように」と若者をして恋人の美しさを形容させたのであろうか、と考えます。
 ━━恋人の所在は知れた、あの人は香り草の花床のなかで、ゆりの花を手折って羊の群れの番をしている、と、処女子は歌う。彼の許へ赴こうとした、すると、アミナティブの車に乗せられてしまった、とも。恋の成就には或る程度までの障害はあった方がよい、とでもいうのか。こんなに小さな恋愛詩篇でもなかなかにドラマティックであるのに、今更ながら感心してしまいます。
 「雅歌」は全体の輪郭を摑みにくく、どのようにも受け取れることができるが為に、読む人によってさまざまな解釈の立ち位置があるようですが、古代オリエントに現れた類い稀なる恋愛詩篇であり、艶めかしく熱情に満ちた相聞として鍾愛し続けてゆきたいと思います。



 台風2号が近附いているとのことで、今週末から天気は本格的に崩れる様子です。と書いているいまも、昼間に降り始めた雨がやむことなく篠突き、冷え冷えとして来ています。ちょうど薄着になってくる時分でもあるので、体調管理には気を付けよう。
 こんな寒い夜は誰かと一緒にいたいですよね。
 申すまでもなく、わたくしには誰もいないので、先日古本屋で手に入れた堀口大學の訳詩集『月下の一群』(新潮文庫)を、独りさびしく読んでいます。なんかね、「詩編」が終わった途端に詩が読みたくて読みたくてたまらなくなって、部屋のあちこちに分散して置いてあった(放置されていた)詩集を久々に繙いたり、古本屋や新刊書店でむかし読んだ詩集、或いは読みたいと望みながら手が出せなかった詩集を購ったりしているのです。
 夜の雨音のみをBGMにしながら読む詩は格別です。みなさんも試してみることをお奨めします(平井呈一シンパなら絶対この決まり文句を使いたくなるよね!)。外国の詩でも日本の詩でも構いませんが、わたくしの場合、やはりフランス詩がしっくりと馴染みます。もし手許にそれがなかったら、岩波文庫の『唐詩選』や『中国名詩選』、『風葉和歌集』を読みます。◆

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